パチンコ・スロットについて③専業引退

みなさんお疲れ様です。
前回の続きを書いていきます。

専業として毎日パチンコ・スロットを打ちながら社会の歯車から外れ、自分勝手な日常を過ごす日々を続けていました。

当時の稼ぎは20代ではかなり高収入にあたるくらいにはあったので、一人暮らしの無職をしながらゲームしたい時にゲームするみたいな生活でした。
しかしパチンコの釘が開いている店が減少し、収支に陰りが見え始めてきました。

私は色んな店を見に行ったり調べたりするのが嫌いでした。
私はパチンコが楽に稼げるという理由だけで専業をしていたので、色んな地域に行くみたいな労力は割きたくなかったのです。
別にパチンコやスロットが好きだから専業をしていたわけではありません。
楽なわりに収入が高いから続けていただけなので、楽に稼げなくなってきた時点で今の自分の在り方に疑問を持つようになります。

このままでいいのだろうか?
と思いながらも楽をしていたいので仕事は特に探しませんでした。
昔行った事のある店や、多少遠くても打てそうな店に足を運んでみますがいいとこ日当20000円程度の台しかなく、私が満足するような調整の台はかなり少なかったです。
稀にいい台を見つけても次のイベントの時には釘が潰れていることがほとんどで、日々の食い扶持を探すのにも苦労するようになります。

この時の焦燥感は今でもはっきりと覚えています。
どの店に行っても勝てる台がない、食えない。
たまにいい台があっても次行った時には釘が潰れるので中々打てない。
そんな状況の中だと5万10万負けるのがかなり苦痛でした。

毎日打っていた頃は次の日にまた打てばいいと思い欠損は取り返せる気でいましたが
この時ばかりはそうも行きません。
次の日同じ台は打てないので負けたらそれで終わりです。

パチンコやスロットをやっておいて言うのも説得力に欠けますが、自分はギャンブルは嫌いな方です。
勝算の無い勝負事はしません。
パチンコとスロットは自分にとってはギャンブルではありませんでした。負けないからです。
しかし収支の安定感を落とし、次の日打つ台に困るような状況では稼ぎ方として成立していません。
コンビニバイトで突っ立ってた方がマイナスになる事が無い分マシです。

そこに追い討ちをかけるように東京都内での等価交換が規制され、換金ギャップが生まれるようになります。
その後は神奈川方面でパチンコが打てる店があったのでそちらでしばらく稼働しますが長くは続かず、
自分の中で強烈な八方塞がりを感じたのでこの辺りで専業引退を決意します。
当時一緒に打っていた相方と、もう終わりだなぁなんて飯屋で話してたのを覚えています。

もっとちゃんと稼働すれば当時も勝てたんでしょうけど、ちゃんと稼働しないといけない時点で私にとっては違うんです。
最初に言いましたが私は楽に稼げるから専業を選択してただけでパチンコで食っていきたいとかパチンコやスロットが大好きってわけではありません。
別に嫌いでもないですけど、楽に食えない時点でこだわる理由もありません。

5号機の凱旋が出て少しした頃でしょうか。
専業を引退しましたが、それまでの稼働や精神的な疲労から、少し休息を取ることにします。

1ヶ月程度マジのニートをした後に仕事を始めます。
パチンコとスロットは自分の金で打つ気にならなかったので、代打ちをする事はありましたが1人でホールに行く事は稀でした。
たまーに行くんですけど年1回とかなのでご隠居状態です。

こうして長いような短いような専業生活を終えました。
大体2年半〜3年くらいでしょうか。
正直言って社会に出て役立つ事は何一つ学べなかったと思うし、自分にとって肥やしになった事も無いと思います。
役に立ちそうなものと言えば期待値に向き合う上で勝手に身に付いた折れない心くらいでしょうか。
元専業の人でパチンコスロットで学んだものがあり、それらが社会生活において活用されている人がいるとしたら、それはその人の才能だと思います。
木を見て森を知れる人です。
私はそうではありませんでした。
それくらいパチンコやスロットで勝てる事と、実際の社会生活とは関係性が薄いです。

何か目的があってお金を貯めたいとかで一時的に専業をやるのはいいと思いますが、身の肥やしになる事は恐らくかなり少ないですし
若いうちにしっかり立ち回れるヤツは結局年取ったらそこそこいい給料貰えるんで、スロットの判別とか立ち回り考えて苦労するより、働いて苦労した方が自分のためです。

そんなわけで専業を引退した私ですが、後に兼業として復帰します。

続く。

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