格闘ゲームについて①格ゲーとの出会い

みなさんお疲れ様です。
今回は格ゲーについて記事をいくつかに分けて書いていこうと思います。
相変わらず自分語りなので面白いかどうか分かりませんが暇潰しに見てもらえると嬉しいです。

私が格ゲーを初めて触ったのは確か8歳くらいのときです。
我が家はゲームを買ってもらえない家だったのですが祖母の家にはファミコンとネオジオCDがありました。
年に1回親戚で集まるので、その時に子供達が遊ぶ用で置いてありました。

で、祖母の家で6つ年上の兄がネオジオCDでKOF95をやっている時、お前もやれと言われて触りました。
多分兄は対戦相手が欲しかったのでしょう。
しかし8歳の私は何がなんだか分からず当然ガチャプレイ。
兄に必殺技の出し方を教えてもらいますがちんぷんかんぷん。
そんな事より私はくにおくんの熱血サッカーリーグがやりたかったです。

当然兄の対戦相手になるはずもなく、くにおくんの熱血サッカーリーグがやりたい私はKOF95のモチベーションなんてありませんので30分くらいで引退します。
この時兄に頭を殴られて痛くて泣いたのを覚えています。
14歳が8歳の弟殴ったらあかんて。

私は小学生の時同じマンションに住んでいたWくんという子と仲が良かったのですが、Wくんはセガサターンを持っていました。
そしてセガサターンのKOF95とX-MEN VS. STREET FIGHTERを持っていました。
KOF95を見た時、このゲーム知ってる!と言い一緒に遊んでみる事にします。
兄に強制的にやらされるKOF95はすごく苦痛でしたが友人と遊ぶKOF95はとても楽しかった。
必殺技の出し方が分からないので説明書に書いてあるコマンドを一生懸命入力します。
Wくんは如月エイジというキャラの斬鉄波を出せたので私も出せるようになりたいと思い、手汗で濡れながらも沢山入力しました。

それからWくんと2人で遊ぶ時は毎回Wくんの家でKOF95を遊んでいました。
CPU戦を2人でやったり対戦してみたりと、かなり楽しかったのを覚えています。
ボスの柴舟とルガールが強過ぎて倒せませんでした。
連戦はきついて。

Wくんには不良のお姉さんがいて、よく高校をサボっては家でタバコを吸っており、ヤンキー系の彼氏が家に来る時は私達は家を追い出されていました。

そんな時に行き着いたのが近所のスーパーの屋上にあるゲームコーナーです。
ゲームコーナーには沢山の格闘ゲームがありました。
私は目を輝かせます。
そこにはKOFやスト2やメンスト等、横並び筐体ではありますが色々ありました。
しかしゲームコーナーでゲームをするにはお金が必要です。
小学生がお金なんてまともに持っているはずがありません。

そこで私達は親やWくんの姉にお小遣いをもらう作戦を立てます。
作戦もなにも、ゲームしたいから金くれって言うだけなんですけどw
Wくんの姉はアルバイトをしていたので太っ腹でした。
よく500円や1000円をくれました。
小銭を全部渡された時もあります。

ゲームコーナーのゲームは1プレイ100円だったので、KOF96や97、メンストなどの複数キャラ使えるゲームをして、1人1キャラ使うなどして遊んでいました。

小学生3年生になった頃、新しい仲間が加わります。
Nくんというのですが中々の悪ガキでした。
よくイタズラをしては先生に怒られていたのですが生意気なのでやたら反抗します。
Nくんも家にネオジオCDを持っており、KOF96を持っていました。
NくんとWくんと私の3人でKOFで遊ぶというのが日常になり、よく一緒にいました。

小学3年から4年へはクラス変えが無かったので3人でKOFをずっと遊んでいました。
スーパーのゲームコーナーでKOF97を1人1キャラで遊んでいたのは良い思い出です。みんな暴走庵がお気に入りでしたw

この頃には必殺技も出せるようになり、暴走庵でJD→近C→強闇払いのコンボを完備。
あと屑風から直で八乙女。

近C→闇払いをやろうとするとたまに屑風が出て繋がるので、そこから八乙女を入れてダメージアップを図ります。
ちなみに何故たまに屑風が出ていたのかは小学生4年生の自分には未知の世界でした。
なんか知らんけどたまにどうしたー!じゃないやつが出てダメージ上げられる!くらいの認識です。

家族で本屋に行く機会がありました。
そこで私はKOF97の攻略本とネオジオフリークという雑誌を目にします。
なんだこれは!!!となった私は親にせがんで買ってもらいます。
そこには素晴らしい情報が沢山ありました。
中でも私はテリー・ボガードのパワーチャージが入り続けるコンボに目を付けて練習します。
やり方は簡単、パワーチャージを当ててしゃがみA空振りキャンセル弱パワーチャージを繰り返すだけ。
このコンボ1本と暴走庵のJD→近C→強闇払いでCPU戦をクリア出来るようになりました。
なんと面白いんだKOF97!!!!

私はその頃学習塾に通っていたのですが、塾に行くときは親から飲み物代として200円〜300円くらいをもらっていました。
塾へ行く経路にはおじいちゃんが経営している小さなゲーセンがあり、そこにKOF97も置いてありました。
25年ほど前になるのですが、当時のゲーセンはヤンキーの溜まり場。
タバコの煙が舞う薄暗い空間で、いかにもな感じの雰囲気でした。
しかし私はKOF97が遊びたいので塾をサボってそのゲーセンに行き、飲み物代としてもらったお金で遊ぶようになります。
たまに店長のおじいちゃんが「このゲーム面白いの?沢山遊んで行ってね」と声を掛けてくれて50円や100円をくれました。

たむろしているヤンキーにも声を掛けられます。
ヤンキーは子供に優しいのか、お前うまいじゃん!と言ってくれます。しかし乱入されボコボコにされました。
お金が無いので私から乱入は一切しませんでしたが、そこでヤンキーから空中ガードからの着地コマ投げを教わりました。
確かにめちゃめちゃ強かった。
帰る時に「また来いよ少年!!」と明るく言われました。
このヤンキー集団はゲーセンにいく度にいたので保護者代わりみたいになってくれました。
ヤンキー見た目は怖いけどあったけぇな。

こうして友人との遊びや見知らぬ人々との出会いを通して格ゲーにハマっていきましたが小学5年生に上がる時に家が引っ越します。
今までの友達とも離れ離れになり、引っ越した先では格ゲーを一緒に遊んでくれる友達は出来ず、段々と格ゲーから疎遠になっていきます。
KOF98が出たのでゲーセンで遊んでみますが97のようにパワーチャージは入り続けないし暴走庵もいないし四肢を咬む炎から暗黒大蛇薙も入りません。
なんなんだこのクソゲーは!!!!と思ってすぐ遊ぶのをやめました。
数年後に人生を捨てる程やり込むゲームと知る由もなかった…。

こうして格ゲーから離れ、代わりに音ゲーやMr.ドリラーなどにハマり中学の終わりくらいまでは色んなゲームで遊んでいました。
なんだかんだゲーセンには通い続けてましたねw

そして中学3年生の頃、自分を格ゲーに復帰させ、ガチ勢になるきっかけとなる格ゲーが発売します。
KOF2002です。

次回に続く。

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