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『料理』。それは、家事の中で最も当然とされながら、最も必要のない家事。(手間も異常。)

昨年末結婚し、夫と新婚生活を送っている私。

共働きってこともあるけど、家事は基本的に2人で分担。料理は出来るときに出来るほうが担当してそれ以外はお互い楽なように、ほっともっとでお弁当を買ったり、コンビニで買って食べて過ごしてる。

(有名どころだと、ちょっと劇団ひとり夫婦に近いのかな?
https://chanto.jp.net/housework/short_story/165340/ )

それが私たちの普通なんだけど、結婚してからというもの、家で料理とかちゃんと作ってるの?と聞かれることが増え、もやっとした気持ちになることが増えた。

「ちゃんと」ってなんやねん。

子どもと結婚したわけじゃないし、
アスリートと結婚して、栄養面含めて支える宣言をした訳でもない。

それぞれが必要な栄養を、それぞれが好きな方法で取れればそれでいいと思うんだけど、手作りじゃなきゃ”ちゃんと”してるって言えないのか・・・?

(たしかに私は料理得意ではないけども!)
(料理するときも、そこまで栄養バランスとかは意識してないけども!)


そんなタイミングにコロナが重なって、SNSで、料理がしんどい!って内容の投稿をよく見るようになたのだが、それで 私のもやもやはさらに加速して膨らんだ。

私たち夫婦は基本激務なのだが、落ち着いてる時期に貯金の為、自炊に取り組んだ時期もあった。
が、最低どちらか1人だけでも毎日定時上がりできないと毎日簡単な夕飯作るだけ、それだけでしんどかった。

休日に昼・夜作ることもあるけど、それだけでぶっちゃけ休みの日終わる感覚。
(食べても食べても腹は減るのにそんな永遠にくりかえすもののために、なんで休日をこんなことでつぶさねばならんのだ。)

そんな中、コロナの在宅でフルタイムで仕事しながら、3食自炊を強いられている人たちの嘆きをSNSでみて、この世界はなんて残酷なんだ・・・と恐ろしくなった。(分担してても大変そうなのに。)


そして同時に、自分の状況と、他人の状況を、みて改めて確信した。

「料理ってやらなくてよくね・・・?」

掃除 洗濯 ゴミの分別 などなど、数ある家事の中で、料理だけは、本質的には不要なのでは・・・?
※本質的に不要とは、マストではない という意味である。

例えば。

掃除という家事は、”汚れを落としたり、ほこりを取り除いたりする”という目的に対して、掃除するしかないので、必要な家事。

洗濯についても、”衣類をきれいにする”という目的に対して、洗う以外ないので、必要な家事。

それに対して、料理は・・・”活動する栄養を得るために食事を摂る”という目的に対して、必要な家事はあくまでも「食事を用意すること」。

食事を用意する手法は、外食するとか、テイクアウトにするとか、別に料理じゃなくてもできる。

このように、料理は家事の中でも代替のきく、仲間外れのはずの家事なのである。


なのに、料理に苦しんでいる人が大勢いる現状は一体・・・


問題なのが、この、「食事を用意する」という家事に対してその一手法に過ぎない「料理」が、欠かすことのできない家事として、多くの人たちに刷り込まれている点である。

(特に、掃除選択よりも、毎日料理を作れているかどうかが=家事をちゃんとできてるかどうかの指標になっている人も多く、とりわけ、その役割を女性がやるべきと単純に考える空気感はまだまだ根強い。
そして、その世の中一般的に考えられている女性が料理を作るべきという期待と、多様化している家庭の在り方の狭間で、料理をしないことに罪悪感を感じる女性は多く存在している。)

(そういえば、前テレビでカズレーザーが女子力についていいこと言ってたな・・・
https://www.excite.co.jp/news/article/Ren_ai_80315/  )

そしてそこに輪をかけて問題なのが、その欠かせない家事と思われている「料理」には、他の家事とは比にならないくらい時間も、労力もかかってしまうということである。

だってさ、そもそも掃除機、洗濯機はあるのに、料理機はないじゃない。

(電子レンジとか、冷蔵庫とか、コンロとかはあるけど、それは、あくまでも、料理を手伝ってくれる、一アイテムに過ぎない。洗濯板と一緒。掃除機や洗濯機のように、目的そのものを
スイッチ一つでかなえてくれるものではない。)

冗談はさておき、やんなくていいことを、やんなきゃダメっぽく言われて、めちゃめちゃ時間かかるなんて超地獄としか言いようがない。

発生する作業をテイクアウトと料理でくらべてみる。

▼テイクアウト
・今食べる分だけ買う。
・ごみをごみの日に捨てる。
 (以上!)
⇒買って食べるまで1時間あれば十分

▼料理
・買い出し(家の冷蔵庫の中身や、今後の家族の予定を鑑み、必要な材料を考えながら購入)
・買い出ししたものを整理する。
・献立や作業手順を考える(買い出しの時も考えてるけど)
・料理(下準備~都度の洗い物含む)
・片付け(調理器具や、コンロ回りの掃除)
・皿洗い
・シンク·排水溝の掃除
・乾いたお皿の片付け
・生ごみの処分
⇒料理から片付けまでだけでも2~3時間

・・・・うおおお
(自分で洗い出しておいて、食べる為だけの料理って、無駄多すぎ!と思ってヤな気持ちになってる。)

自炊が最も節約になるからと言っても、払う犠牲が多すぎませんか?

味だって普通の腕前なら、買ったもののほうが確かなのに、買うものや、献立、冷蔵庫の中身考えるだけで精神力使って、料理しなければやる必要もなかった掃除とかお皿洗いの雑務まで発生して体力使って、比べ物にならないくらい時間も使って、そして終いには感謝までされなかったとしたら・・・(恐怖)

そんな犠牲まで払って(払わせて)手作りを選ぶ理由って何なんでしょうか。

やりたくない料理をしてる人ほど、心が荒んでいる様子を目にすると、健全な精神状態で過ごすためには、お金はもちろん大事ですが、(頭の中まで家事から離れられる)自由な時間を確保することが重要だと再確認させられます。

お金は無限だけど、時間は有限。
お金で買える時間があるなら買うべきだと思う。
※それが難しい環境ならば、少なくとも、家で「料理」という形で食事を用意してくれてる人とは、それ以外の家事すべてを別の人が担っても、払っている労力が全然平等じゃないことを理解して感謝しないといけないと思う。

誰だって、生活するための家事に追われて人生終えるなんてまっぴらごめんさ!


勘違いがあるといけないので補足をすると、料理なんてくそだ!ってことが言いたいわけじゃありません。(料理が苦手な私ですら、料理が嫌いなわけでもないです。たまには自分で作りたくなる時もあります。)

料理って、掃除とかと違って、喜んでほしい!とか、こんな料理つくってみたい!とか自発的にやって初めて楽しめて喜びも感じられて、片付けとかの手間や労力も受け入れられるのだと思うんです。(だってやんなくてもいいことなんだもん)

だからこそ、料理が”やらなくてはいけない家事”になってしまっていて、やる意義を感じられないのにやっている状況がもしあるのなら、一度、本当に、”料理”を頑張らなきゃいけないのか立ち返ってみてもいいかも。という一つの考え方の提案。

(もちろん、作り手が納得できていて、適切な分担ができていれば手作りがうちの家ではマストなんだって家庭があってもいいと思います。
いつか子どもが生まれたら出来るだけ手作りのものをあげたいな~とかは私もおもったりしてるので・・・生んでみないとわかんないけど。)

だから、その他の家事も、本質を考えて、本当に必要なこととそうじゃないことの仕分けと、必要なものの内容や分担をそれぞれの家庭で
決めていけると幸せなんだろうなと。(モラハラなパートナーとかだと、それが難しいんだろうけど...)

あとは、

食べる為の料理なの?
したいからする料理なの?

この違いは忘れたくないな・・・という自分の為のメモでもあったり。

最低限、「食事を用意する」という家事の為に、料理という手段にに苦しめられている人がいることや、やらなくていい考え方もあるかもしれないこと、どうしてもやらなきゃいけない・やりたい場合は、料理というのが、どれだけ精神・体力・時間をすり減らすものなのかを
多くの人が認識して、分かち合ったり、感謝できる。

そんなことが当たり前になる日が訪れますように。


(マストな家事も家事代行とか使って、夫婦で稼ぐとか出来ると、心もお金も余裕を生む手段かもなーとも思う今日この頃。

小さな雑感でした。


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