とりとめもない話

東京を離れて、暇な観光地の露天風呂を一人占めできて、わるいことばかりじゃないな、って、やっとおもえた

仕事がピンチになって、お客様が助け舟をだしてくれたり、友達に励まされたり。最近は、普段感じられない人の優しさを感じられて、ありがたいなぁとおもいながら、なんとか生きてる

それでも身体は明らかに蝕まれていて、日々体調不良も気になってしまったり

こんなときだから、と、良心でやったことに対して、何も返ってこなかったりして、がっかりしちゃったり、見返り求めちゃう性格にげんなりしたり

ネガティブが忙しいよね笑

良かった、っていうのは言い過ぎなんだけど、今回やっと、社会的事件の当事者を経験できたんだなっておもってて。たぶんそれは良いことだと、信じたい

30年以上生きてきて、阪神大震災、地下鉄サリン事件、9.11のテロ、リーマンショック、東北の震災、その他いろんな社会的事件があったけれども、わたしはどれもダイレクトに被害を受けてこなかった

今回、ダイレクトに健康にも経済的にも打撃を受けて、やっと、「経験した側の人間」に、なれたんだなっておもう

どんっなに想像力を働かせても、優しい人間であろうとしても、人を救える1言を伝えたいと願っても

経験してない人の思いやりほど、遠い言葉もないとおもっていたし、経験してみてそれを実感して、確信してしまった

だいじょうぶ?
大変そう
無理しないでね

がんばって

ひたすら気持ちを逆撫でしてくる言葉たち

そこに悪意がないのはわかってるし、心から嘘のない心配だともおもう

それでも、言葉を文字通り受け取ることすら、難しくなってしまったんだよね

それが「経験する」ってことなんだとおもう

あまりに社会的に大きな事件って、みんなが知っている事件だからこそ、「被害を受けた人」「被害を受けてない人」に、真っ二つに別れてしまって、被害を受けた人からはその境界線が消えないように感じてしまうのかもしれない

10年後、「そんなこともあったね」なんて軽く言う人とは相容れないだろうし、人と人は経験によって分断されたって仕方ないとおもうし、そういう現実は大きく受け入れていってもいいのかなって

当事者になれたから思えるんだけど、その境界線は消えなくていいし、無理に消さなくてもいいような気がした

逆に、同じ被害にあった人同士にある、それはそれで特別な絆みたいなものも生まれてくるんだろうなっておもうから、今まで感じたことのない、そういう絆をどこかで感じられるだろうなって、少しだけ期待してみてる

今日も息してるだけでエライ!!

おやすみなさい

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