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「歌をきく」ということ

フラメンコを踊る際に「歌をきいて踊る」という言い方をすることがある。
私もしょっちゅう使う言葉なのだが、ここのところ、この「歌をきく」というのは一体なんなのか、ということをずっと考えている。

「歌をきいて踊る」の反対は「歌をきかないで踊る」である。
「歌をきいて踊らない」ではない。

なので、「歌をきいて踊って!」と誰か(仮に先生)が言う時というのは、相手(仮に生徒)が「歌をきいてない」状態だということになる。

「歌を全く聞いてない状態」というのは簡単に判別できて、
例えば、「歌いはじめてないのに、歌に対応している振付を踊り出している」とかで、これなんかは「歌っているのか歌っていないかも聞こえてない状態」ということである。
こういう風に書くと「そんなことってあるの!?」と思うかもしれないが、踊る人というのは結構な割合で後ろに流れている音楽のことなど聞いてないものである(これはフラメンコに限らず、どのジャンルのダンスにも言えると思う)。

で、今回はそういう「完全になんの音も聞こえてない・100%のエネルギーを自分の振り付けに向けている」という状態の話ではなく、歌ってるか歌ってないか位は聞こえているし「この歌はこういう構成だな」とか「あれまあ、このテの歌は全く知らないなあ・・ヤバいなあ」とかが判別が付くくらい(=私レベル)の話。

「聞く」のか「聴く」のか

「歌をきく」を「歌を聴く」と漢字で書けるような状態で踊ることは困難じゃないかと思う。
「聴く」にふさわしいのは「正座で微動だにしない」状態で、「踊りながら」ではない。私はこのことに最近になって急に思い当たった。歌を本気で全身全霊で感じとろうとしたら踊りもせず、ハレオもかけず、じっとして(できたら正座で)聴きたいじゃん!
実際私は、自分の出演したライブ配信を翌日に見て「こんな風に歌ってくれてたのか・・」と思うことがしょっちゅうある。「全然聴けてないなあ・・」と自分にがっかりするのだが、いやいや、よく考えたら人間の能力としてそこまで無理なんじゃね?って話だ。

じゃあ「聞いてるもん」でいいのか。

かといって「歌ってるのか歌ってないか」「どこで歌の休みがあって、どこで終わるのか」ということが分かればそれでいいのかと言ったら、そうではない。
グルーブ、波動、感情、言葉、歌からやってくるエネルギーを踊り手である自分が受け止め、それを踊りとして再放出する。更にそれを歌い手がまた受け取って再放出して・・というグルグルを生み出すことこそが「歌をききながら踊る」ということであるはずだし、それを放棄するんだったら、同じ時間内に歌ったり踊ったりする必要はない。

だったらこの状態は一体何と表せばいいのだろうか

と考えて、
「歌を使う」
という言葉を考えた。
「きく」には「きいてどうするの?」という部分が抜け落ちているが、「使う」には目的がはっきりしている。
「歌を、自分の踊りのために、使う」である。
正直なところ踊り手というのは「自分が一番前面で目立って美味しいところをかっさらいたい。注目を浴びて拍手喝采されたい」という欲望が多かれ少なかれあるはずだ。いや踊り手がというより舞台に立つ人は全員このように思っているはずだ。だから「素材としての歌をとことん使って、美味しいところを頂きます!」という心持ちは悪くないはずだ。
「使う」ためには理解が必要だし、訓練も必要だ。そこもよく表れている。

ただ、パッと聞いた時にあんまり聞こえのいい言葉ではない。何か自分勝手な雰囲気がある。踊りと歌の関係というのは相互関係、高め合っていく関係が理想だと思うが、「使う」という言葉にはそれが抜け落ちる。

また生徒さんの中には「私は注目を浴びたいわけではありません」などと言う人もいる。ウソだろ!?注目されたくない人が踊ってるなんてバカも休み休み言いやがれ!胸に手を当ててよくよく考えてみやがれ!と思っていたのだが、年をとってくるにつけ「本当にそういう人もいるのかもしれないなあ」とぼんやり思うようになってきた(ライブに積極的に出ている人が注目されたくないとか言うと今でも「嘘つきめ」と思うが)。
そういう人には「自分を魅力的にするために歌を使う」のはピンとこないかもしれない。

「マリアージュ」という言葉

漫画を読んでて「マリアージュ」という言葉を知った。
ワインと料理、コーヒーとデザート、紅茶とデザートなどで、「この組み合わせで食すとお互いがお互いの良さを引き立てあってめちゃ美味しい!」っていうフランス語だ。
この「お互いの良さを引き出す」という感覚は「使う」にはない部分で、これはいいんじゃないかと思った。
これなら「目立ちたい人」も「目立ちたくない人」も「自分が一番」の人も「相手のことを考える人」にも目指したい気持ちになる。

しかし、そんなに流通してる言葉でもないし通じにくいなあ。

また、歌と踊りの関係は「その時の1分程度(フラメンコの踊りの中のひとつの歌というのは1分〜2分くらい)の関係性」で「一期一会」感が強いのも特徴。それに「マリアージュ(直訳すると「結婚」)」という単語を当てはめると・・・何が何だかわからなくなってくる。

それに自分で言い出しておいて何だが、「それじゃあファルセータとマリアージュしてないでしょ!」なんて言ってる教室、通いたくないな〜〜。

ということで、「結論」はない。

「ないのかよ!?」というツッコミが脳内にこだまするが、結論はない。
今後も基本的に「歌をきく(聞くかもしれないし、聴くかもしれない)」という表現方法を使い続けると思うし、「歌を使う」という言葉も使うようになるかもしれない。場合によってはニヤニヤしながら「マリアージュ」と言うかもしれない。

それでも「歌をきいて踊る」ということについての2024年時点での考察を記しておく。
皆さんも自分の語彙の中から「現在の私の歌に対しての感覚は「〇〇」という言葉がピッタリくるなあ」と探してみてはいかがだろうか?

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