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PATRICK LABOのコイケです!

PATRICK LABOのコイケです!
唐突にnoteを始めます。
もはや、PATRICK LABOのブログにも登場しないので、PATRICKに関するあれこれをここに書き綴っていこうと思います。

初っ端は軽く自己紹介。
「PATRICKとわたし」的なお話をしたいと思います。
今回は大学卒業からPATRICK直営店に勤めるまで。
さしずめ「立志編」といったところでしょうか。

僕が靴業界に身を投じたのが1997年4月。
大学を卒業して、某高級老舗靴店に入社しました。
紳士靴売場でキャリアをスタート、その後半年ほどで婦人靴を担当。
入社したての僕は、スニーカーとは違う全くジャンルの靴を販売していました。
革靴をいそいそと販売していたのです。

当時勤めていた会社は、毎年冬に若手社員のスキルアップ研修を泊まりがけで行ってました。
そんな中、僕はPATRICKと出会います。
研修は座学が中心でしたが、朝はトレーニングウェアに着替えてジョギングを行います。
(ちなみに当時勤めていた会社の研修は、毎回かなりの体育会系でした)
PATRICKとの出会いは、その朝のウォーミングアップのランニング時に2つ上の先輩が履いていた「MARATHON NVY」でした。

NVYベースに鮮やかなYELLOW。
他のブランドでは見ることのないカラーリングにインパクトを覚えたことを覚えてます。

その後はPATRICKとの接点はあまりなく、相変わらずヒール靴を販売する毎日を過ごしていましたが、1999年7月転機が訪れます。
スニーカーを販売する店舗への異動を命じられたのです。
場所は京都駅前。
初めて実家を離れての一人暮らし。
しかも、スニーカー販売未経験ながら店長。
たくさんの不安を抱えながらの店長デビューでした。
世間一般で、1999年7月といえば「ノストラダムスの大予言」。
そう、恐怖の大王です。笑
僕にとっての1999年7月は、PATRICKの販売を始めた年。
それ以来、20年を超える付き合いです。
当時のエースモデルは、MARATHONとBRONX。
加えて人工皮革のOKLAHOMAなどが人気でした。


時は1996年以来のスニーカーブーム。
PATRICKのスマートなフォルムと独特のカラーリングは、スニーカーマニアだけでなく、スニーカーをあまり履かない女性にもウケていました。

ちなみに1999年当時のコレクションがこちら。
今も受け継がれたモデルもあれば、当時ならではのモデルも散見します。
いやー、懐かしい!!




その後2002年2月、東京に帰還します。
今度は、東京都内のスニーカー店舗の店長として着任。
ここでの勤務は8年半になります。


スニーカーだけでなく、アパレル、バッグ、帽子さらにはミニカーまで扱う、まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しいお店でした。
この時に一緒に働いていたのが現PATRICK LABO 銀座の店長のスズキ。
実は彼女とは10年以上、仕事をしているんです。

※ 最近の写真です   

2010年の夏、人事異動。
一旦、スニーカーを離れて婦人靴の担当になります。
勤務地は東京、いや日本のど真ん中の銀座。
カジュアルファッションからスーツに着替えて働いてました。
足元はPATRICK。
PUNCH(カラーオーダーで作ったオールBLK),SULLY-LX(当時の名称はSULLY-FM)DATIAなどを履いて働いてました。


そして、2013年2月。
新入社員より長年お世話になった会社を退社。
キャリアにして16年。
本当にたくさんのことを学び、経験してきました。

同年4月、現会社へ入社することになります。
ここから、PATRICK直営店としてのキャリアがスタートします。

ここから先のお話は、また日を改めて!
最後までお読みいただきありがとうございます!

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