研究室とメンタル不調とオリエンテーリング

この記事はオリエンテーリングAdvent Calendar2022の12月18日の記事です。

クリスマス

 クリスマスの喧噪を聞くと思い出す場面がある。学生オリエンティアにとっての一大イベントの最後のインカレ。それから9ヶ月経った冬、夜の大学内の実験棟で、少し離れた研究室からは廊下を伝ってクリスマス懇親会の、陽気な笑い声が響いてくる。自分は実験室に一人籠もって作業している。時計は21時半を回ったが、連日同様に全く終わる見通しが立たない。
 ふと涙がこぼれた。こらえようとしても止まず、それでも実験室のパソコンを汚してはいけない、机の上でコンタミを起こして作業を遅らせたくない一心でしゃがんで椅子に顔をうずくめ、嗚咽が続いた。
 たまたま実験室の扉を准教授が開け、泣いていた自分は見つかる。何とかその発作は落ち着いたものの、嫌嫌ながら研究室へ戻った自分を見て、赤ら顔の教授は言い放った。「お前、泣いてたらしいじゃないか」。続けて笑う。自分はその場に立つので精一杯だった。
 

経過

 大学院に入学して2ヶ月経ったころ、自分は軽度のうつ病と診断された。処方された抗うつ薬は副作用を心配した家族に捨てられ、その後は通院せずに学校のカウンセリングに足を運んだだけでだったので、本当にうつだったか今は知る由もない。ただ、当時はメンタルに不調を来していたのは確かだ。
  研究室というものは、大学の小さなグループで教授・助教授などの指導教官のもと、大学院生や学部生が研究を進めるグループである。研究テーマはもとより、指導スタイルや求められる研究水準は研究室ごとに様々である。
 卒業後に知ったが、自分の所属していた研究室は周囲からも恐れられ、その指導体制は「いじめのようなもの」と噂されていたらしい。希望する研究テーマをもとにその研究室を紹介された自分は、その研究室から過去に自殺者が出たことも、入った学生が続々とメンタルダウンしたことも察知できなかった。だが、指導教官3人に対して学生がほぼ1人といういびつな体制から気づくべきだったのかもしれない。
  研究室には学部4年から所属し、学部時代はインカレにかける思いで何とかこらえたが、大学院から特にメンタルが不安定になった。
 
 実験期間は特に基本的に長時間の拘束となる。6時半からは測定機器のセットアップ、続けて14時までの温室作業。夕方からは8時間以上の実験。翌朝の結果チェックを受けるためのデータ整理。土日休みを考慮しないスケジュール設定。進まない論文本文の執筆。月に1度の、針のむしろのような進捗報告ゼミ。提出期限直前の、深夜まで際限なしに続く、三者三様の論文へのペン入れ。満足なデータが揃っていないとの理由で学会発表の機会を与えられない。一番重かったのは、オリエンに時間を割いた学部時代に、指導教官から「もっと研究に時間を割け」と言われたことだった。

オリエンテーリングへの支障

 オリエンテーリング競技者は大学生が多く、その中には一定数研究の道へ進む人がいる。学生の任意で進める面も大きい研究生活では、時間をうまく使って研究とオリエンテーリングをバランスよく両立するケースもある。そう聞いていた自分は、大学院へ進学した際に研究とオリエンの両立を信じていた。
 だが、周囲から聞いていた様子とは異なった。度重なる実験で週末の遠征には行けない。時には日帰り練習さえ行けなくなる。後輩をコーチする立場もあり、最低限の練習会には行く。だが、研究室に通えなくなった裏で、合宿には参加できてしまうちぐはぐな状況に一抹の罪悪感を抱くようになった。
 研究室を休みたい気持ちを「甘え」として切り捨て、義務感と罪悪感で身体を引きずって通学する生活を送っていると、体調の悪化を自覚できない。
  食事は、楽しむものではなく、実験を続けるエネルギーを確保するために、口に栄養源を押し込む動作に変わった。
 少しのチクチク発言で心を削られる。必死につかんだ結果に対して他大学のオフィシャル(オリエンテーリングのコーチ)から「3位はまぐれ」と言われ、隠れて泣いた。研究室の合間を縫って就活しても、「○○(自分の名前)が入るようなところなんて大したことねーよ」と自分の内定先を自分の目の前で笑いのネタにされる。そういった受け流さなくてはいけない記憶が何度も頭の中でリフレインする。
 競技面でのゆるやかな衰退。大学生の、爆発的な成長を横目に見ながら、伸び悩むどころかいつ落ちるとも知れない成長曲線と向き合う不安。

 自分を削り取るような生活の中で次第に、進んでオリエンテーリングに行きたい気持ちは消え失せていった。

 この時期の、練習記憶や練習記録が残っていないので推測にすぎないが、恐らくこの時期の時間を捻り出せたとしても練習は成果を出さなかっただろう。
 筋トレをはじめとるする各種トレーニングには意図的に休息を設け、回復を図る必要がある。
また、ランニングであってもLSD、ジョグ、閾値走、インターバルのどれを設定するか、レースではどのレベルのコースを出場するか、技術練ではミドル、ロングレッグに挑むか、コンピを積み重ねるか、といった数々の選択の場面で自分の技術的・身体的なコンディション、時には精神状態をある程度客観視することが求められる。
 ところが、身体のSOSサインさえ無視してしまうような、「頑張る」しか選択肢が表示されない状態では、発揮したい時に思い通りの力を出し切れなくなる。現実的なトレーニング量の設定ができず、闇雲に高い不可能な目標をかかげて到達できず、目標を達成できなくて自己不信に陥る。日々のトレーニングを妨げる要素、たとえば空腹とか寒さとか、取り除こうと思えば些細な要素に気づけず取り除けずに放置して自分を無駄に追い込む。
 楽しめるはずの練習、レースが自分を追い込む要素となってしまう。
 

苦しいときに

 自分に合わなかった研究室を幸いにも抜け、幸いにも自分にあった環境に身を移せたので、苦しいときにメンタルを維持する10の方法とか、そういった類は今でもまだ説明できない。
 ただ、26時まで独りで実験室に籠もり、電気の消えた他の実験棟を見て、自分より幸せそうな他者を恨んでしまって、そんな自分がなさけなく思える人。自室へ戻った時、真っ白な壁を見て訳も分からず泣き、かといって何もできなかった対して自分に眠ることを許せなくなってしまう人。そういった人に向けて自分が言えるのは「独りで泣かないでほしい」ということだ。
 
 確かに冒頭の教授のように泣いている姿を笑う人もいるだろう。また「泣かれると面倒」といって裸足で逃げ出す人もいるだろう。
 でも、研究室やオリエンの狭い世界から出た時、自分は偶然出会った。涙が止まらなくなった際にハンカチを差し出してくれた人。頑張りすぎんなよ、と声をかけてくれた人。一杯の白湯で落ち着かせてくれた人。100人の前で「辛い」と声を上げたら1人くらいは立ち止まってくれるかもしれない。確かに苦しい境遇を訴えるだけで課題は解決しない。だが、「発信されない意見=存在しない意見」と誤解されがちな世の中で、インターネットに自分の辛い境遇を載せることさえ不幸自慢に思われて言葉に出せずに抱えこむよりは、遙かに進める前に可能性が広がる。たくさんの人に泣きついてほしい。
 
 そして、疲れたらオリエンテーリングから離れるのもありだろう。この競技は、日本で続けるには競技時間に対して準備・移動時間が長く、競技までの手続きが多くて、片手間に楽しめる趣味とは言いにくい。
 だが、あなたがもし森が好きだったり、地図が好きだったり、走るのが好きなら、昔と全く同じとはいかないけど、すこし休んで、また戻って来る道もある。オリエンテーリングに戻る選択肢も、戻らなくても自分に合った別の環境を選ぶ権利ごある。だから、辛かったんだと、振り返ることができるようになるまでに無理をしないで、心と身体を守るために逃げてほしい。

 "頑張る"ことにしか自分の存在意義を見いだせない人へ。クリスマスの時くらい、頑張りすぎないように頑張る自分をほめてあげてほしい。

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