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祝福と平和のアロマ祭を折り返した今、思うこと。

ただいま、21日間、エッセンシャルオイルを使って香りの魔法道具を作り、波動のピン留めをしていこうという錬金術的アロマテラピーのお祭、第3弾の真っ只中。


浄化、豊かさと感謝と2つのお祭を経て、今回は、歓びと祝福がテーマに据えて、香りのある毎日を26名の方と過ごしている。


どのテーマもね。
必ず、それを感じようとする時、それに拮抗する感情と出会う。
前回の豊かさであれば、お金に対する抵抗や反発心なんかが代表的で、お祭りの2週間目というのは、その抵抗反発を感じやすいののだけど、3週間に入ると綺麗にブレイクスルーされる方が出てくる。

今回は、祝福がテーマなので、この祝福や喜び、平和を味わっていくと、家族関係に意識が向けられていくことだろうと予測していて、やはり、その傾向が出てきた。


なぜならば、私たちがこの世に来て一番に受けるものが、歓迎と祝福だからだ。
命を授かり、肉体を作り、母の体から出てきて一番に体験することは、誰かに抱き上げられること。地球へようこそ。と迎え入れられることだ。


そもそも論で、私たちは祝福を原体験に持っているにも関わらず、自分は愛されていないとか、居場所がないとか、歓迎されてないとか、色々な分離感を感じる。そのもっと前へと意識を向ければ、絵に描いたような、理想のような歓迎や祝福でなかったとしても、誰かは必ずあなたを拾いあげてくれている。そして、生きなさいと育ててもらっていたはず。誰かがミルクをくれたから、こうして今、このnoteも読めていたりする。


そのミルクをくれた人は、母親じゃないかもしれない。
でもね。誰かがあなたの命を繋いでくれていたのだ。


それはご先祖様も同じ。
あなたに続くまで、誰1人として、命のバトンを落とさなかったから。
大切に繋がれたもの。


だけど、日常での人間関係のあれこれで、全く感謝なんぞ出来ん!と縁を切ってみたり、疎遠になったり、思ったものを与えられなかったとやさぐれたり、人はするもの。


それが今、そうであったとしても、そうでなくても、健在意識上でそうであっても、潜在意識の中であっても、こういった自分が受けていた祝福を忘れたり、記憶になかったり、どこかしら否定していると、今回のお祭りでは、途中からやや失速する。という現象が起こるだろうと予測していた。


ことのほか、今回のメンバーは、その親子関係の問題をクルリンと覆せた方がいたり、夫婦関係に変化が生まれていたり、パートナーシップが順調に育まれていたり、心温かなものを感じることが多い。みんなが香りのサポートを受けて、これまでの取り組みがそれこそ祝福されるように報われていく姿はとても美しく、あぁよかったなぁと目元が緩みます。


喜びには2種類あって、一時的な快楽である「喜び」と何もなくても自分の中から湧き上がってくる「歓び」があって、このお祭りは、後者の歓びを私たちの中から引き出してくれる。こちらの歓びは、まるでプリケツの空飛ぶ天使がベルを鳴らしているようなイメージで、おめでとう!と言われているようななんとも言えない幸福感、多幸感が伴う。喜びと違って、無条件なのだ。


しかし、その人の中で、幸せが条件づけされている場合、無条件に祝福されていることを信じられないんですよね。あるいは、いいんかな?と受け取り切れないんですね。


これをしたら、褒めてもらえる。
こういう自分であったら、祝福される。


理想の姿であれば、祝福されたり、認められる。とそのままの自分では愛されないと思っている人は、自分の身近に祝福や喜びがあっても信じられないし、味わい尽くすことが難しいんですね。別のところに目が向いてしまう。

側からみていると、ただの取りこぼしなんだけど。
ポンコツでも愛される。不完全でも祝福されるのかもしれないな〜と思ってみると、祝福を受け入れる余地が生まれてくるので、すでに愛されて、認められているんかも。とぜひ、思ってみてほしい。


そもそも赤ちゃんって不完全じゃない。
固形物だって食べられないし、歩けもしない。しゃべれもしない。
でも、愛されるでしょう。

大人だって、完璧な人はいない。完璧そうに見えてもそうじゃない。
理想を持つのは素敵なこと。なりたい姿があると、張り合いが出るから。


でも、それがあなたに本来の姿から見るととても不自然な理想の姿だったら、いつまでもそこには手が届かないし、そうなれないことに疲れて自信を失うのは当然のことでしょう?


何が自分にとって自然か。
それは一旦、すべての力を抜いてみないとわからないんじゃないかぁ。
完全なるニュートラルな自分を知ることで、自分の特性やギフトに気づけるから。

今回のジョイ祭は、サブテーマが、内なる平和と穏やかで、祝福の香りでふわりと上がる気分や波動を体験しつつ、足元が浮足立ち過ぎないように、自分自身にグラウンディングしていくという両方を香りを通して体験していて、2週間目の後半の今は、内なる平和と穏やかさに意識を向けているところだ。


どのお祭りにも共通するけれど、祝福や喜び、平和を自分で体験するぞ!という意思のある方の変化は大きく、逆に、ちょっといい気分になれたらいいなぁ、とか、この波動の高いグループの中に居られるだけ幸せ〜と客観視している人は、その人の想定内の範疇からは飛び出ることができない。


体験が自分に知恵を授け、次の目的やこれやってみよう!という意欲や実験材料を与えてくれるから、見ているだけでは、このやってみよう!は自分の元にはやってこないのだ。見聞きしたものは、誰かにとってのやってみようの材料で、自分用にカスタマイズされたものではないから。


祝福を味わうことも、歓びの世界の住人になるのも、自分の意思がとても大切。
もちろん、香りは、ただ身に纏ってるだけで、気分を変えてくれたり、高揚感を与えてくれたり、ちょっとしたいいことやミラクルをくれるし、変化だって生み出してくれる。


使ってるだけでも香りの魔法は、その人に作用する。
それだけでも十分素晴らしいこと。


アロマの魔法は、ビギナーにも、玄人にも作用するから、どこまでどんなミラクルを見せてくれるのか、という探究心がある方が、断然、面白くなる。


もうすぐこのお祭りも2/3が終わり、最後の7日間へ突入する。
週末からは、少しギアを上げて、まだ体験したことのない体験をみんなでしていきたい。


私たちは、毎日たくさんの祝福を受けていて、自分が身の回りにあるものに、優しい眼差しを向けていけば、そこにはたくさんのよろこびがあって、いろんな人の優しい気持ちがあって、本来、世界は本当に平和に、穏やかにできているのだと思わざるおえなくなる。


自分の内側から平和を。
外側の世界にどれだけ広げていけるだろうか。
最近は、そんなことを考えています。









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