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22時のアロマなコラム「Aroma Journey」

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2019年2月5日立春からほぼ毎日22時に配信していたアロマなコラム プラットフォームのサービス停止に伴いnoteに移設中です。 全379記事を毎日複数UPしています。
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#アロマコラム

68: 手の秘密

「あぁ、涙が出そうです。」 「こんなに丁寧に触っていただいてたんですね。」 「ただただ、美しかったです。」 「神々しかったです。」 技術系の講座や復習会などで施術のお手本をお見せすると、そんな風にいっていただくことが多い。 ある治療家さんからは、 「施術を拝見して、わたしは初心に返らないといけないと思いました。」ととても心のこもった長いメールをいただいたこともあった。 施術というのは面白いですね。 テクニックだけではダメなんです。 施術は、物理的な効果、心理的な効果や

19:半径1mくらい

「ふわりといい香りがしますね。」 と言っていただいたり、 「はぁ〜いい匂い。今日は何?」 と聞いてもらうことが多い。 その時の、笑顔をみると、 香りは、人を本当に幸せにし、喜びをもたらすのだな、と感じる。  アロマという美しい香りを纏うことで 半径1mくらいに香福を届けられる。  それはやっぱり、 素敵なことなんじゃないかと思う。  外出先でふわりと アロマのいい香りのする男の人に出会うと 私も、「おっ♡」って思いますしね。  これは、香水の 「あぁ。香水ね。」っ

11: 今世くらい。

アロマの理解を深めるのに、 アストロロジーとマルセイユタロット学んだ。 カバラも。音叉も。 その学びの中で伝統的に続いているものは、 その伝統的な型のエネルギーによって、 それを扱う者が守られる。 そんなような言葉を昔聞いた。 何かを学ぶ時、 早合点でわかったつもりになって、 ついついはみ出たり、 自分に都合のいい理解や解釈をしてしまうことがある。 少しハミ出す。 その小さなずれから、気づかぬうちに、 どんどん本質から離れて行ってしまうというのはあるあるだ。 伝統に沿

08: 神聖の美

「うん。ひとまず、任せて。」 って身近な人が不調な時、自分が持っているものや 知っていることを一旦広げてみて、 最適なものは何かと知識も直観も人脈も総動員する。 そういうとき。 この世界にある 人をいたわり、バランスを回復させ、 満たし、開花させていくあらゆる手段を 美しいと感じる。 この手も、 芳香植物のエッセンスも、 音という振動、言葉の周波数も、 空間や人の体温、ぬくもり。 想い、願い、祈りといったエネルギー ピュアで神性の宿っているもの。 それがやっぱり人を

07: すべて巧くいく。

先日インフルになって、 これでもかと気持ちが滅入っていろんな恐れが湧いてきた。 それで、 「ここからどうやって、通常のテンションに戻るんだっけ?」 「今の私に足りてないものってなんだ?」と問うた。  そしたら、出てきたのはこれだった。  「すべて巧くいく。巧くいってる。」 って信じる気持ち。  宇宙のバイオリズムは、 巧妙かつ、精妙、かつダイナミックで、絶妙にできている。  本来、当たり前に乗っているそこから、 自分が離れてしまっていたんだと。 肉体が弱って、 そ

05: アンチ・アロマテラピーだった過去

これを言うと、ものすごく驚かれるのですが、 私は、その昔、アンチアロマテラピーでした。  その当時の私にとってアロマテラピーは、 セラピストとして欲しい結果が速やかに得られるものではない。と感じていたから。 けれども、Young Living社のエッセンシャルオイルを手にした時に、 「これは今まで知っていたエッセンシャルオイルとは、全くの別次元のものだな。」と一瞬で悟った。  衝撃!  一撃を受けて、それからわたしは、「どういうことよ?その辺のアロマと何が違うのか。」と

04: その日の匂い

自宅からサロンまで徒歩で10分くらい。 その日の匂いを吸い込むように息をしながら歩く。  鼻に空気を通す。毎日のルーティン。 あぁ、この空気の匂いを知ってる。  あの国の朝の質感と一緒だ、とか。 冬から春へ変わる時の匂いだとか、 そうやって「今」を感じて 今日ここにいる自分にチューニングする。   香りと記憶 時に、切なく。 胸がキュッとすることもある。  でも、それでも、 そういう感触や感覚を愛しいと思うのです。  香りはどこにでもある。 アロマがそこになくても

03: 後悔って本当?

もし、あのとき、あの年齢の時に、 これができていたらなぁ… あの時、こうしていたら… 今頃きっと… そんな気持ちが湧いてきて、 それにとらわれてしまうような時があるけど、 その後悔や後悔に似たものって本当なんだろうか。 なんか、後悔じゃなくて、 「たら」「れば」の希望であって、 どこか後悔としての現実味が、イマイチない気がする。 もし仮に、あれや、これや、をできる知識やチャンスがあったとして、 それをやる勇気がその時の自分にあったか、は甚だ謎だ。 今の私だから、 その