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「あぁ、涙が出そうです。」 「こんなに丁寧に触っていただいてたんですね。」 「ただただ、美しかったです。」 「神々しかったです。」 技術系の講座や復習会などで施術のお手本をお見せすると、そんな風にいっていただくことが多い。 ある治療家さんからは、 「施術を拝見して、わたしは初心に返らないといけないと思いました。」ととても心のこもった長いメールをいただいたこともあった。 施術というのは面白いですね。 テクニックだけではダメなんです。 施術は、物理的な効果、心理的な効果や
「ふわりといい香りがしますね。」 と言っていただいたり、 「はぁ〜いい匂い。今日は何?」 と聞いてもらうことが多い。 その時の、笑顔をみると、 香りは、人を本当に幸せにし、喜びをもたらすのだな、と感じる。 アロマという美しい香りを纏うことで 半径1mくらいに香福を届けられる。 それはやっぱり、 素敵なことなんじゃないかと思う。 外出先でふわりと アロマのいい香りのする男の人に出会うと 私も、「おっ♡」って思いますしね。 これは、香水の 「あぁ。香水ね。」っ
アロマの理解を深めるのに、 アストロロジーとマルセイユタロット学んだ。 カバラも。音叉も。 その学びの中で伝統的に続いているものは、 その伝統的な型のエネルギーによって、 それを扱う者が守られる。 そんなような言葉を昔聞いた。 何かを学ぶ時、 早合点でわかったつもりになって、 ついついはみ出たり、 自分に都合のいい理解や解釈をしてしまうことがある。 少しハミ出す。 その小さなずれから、気づかぬうちに、 どんどん本質から離れて行ってしまうというのはあるあるだ。 伝統に沿
「うん。ひとまず、任せて。」 って身近な人が不調な時、自分が持っているものや 知っていることを一旦広げてみて、 最適なものは何かと知識も直観も人脈も総動員する。 そういうとき。 この世界にある 人をいたわり、バランスを回復させ、 満たし、開花させていくあらゆる手段を 美しいと感じる。 この手も、 芳香植物のエッセンスも、 音という振動、言葉の周波数も、 空間や人の体温、ぬくもり。 想い、願い、祈りといったエネルギー ピュアで神性の宿っているもの。 それがやっぱり人を
先日インフルになって、 これでもかと気持ちが滅入っていろんな恐れが湧いてきた。 それで、 「ここからどうやって、通常のテンションに戻るんだっけ?」 「今の私に足りてないものってなんだ?」と問うた。 そしたら、出てきたのはこれだった。 「すべて巧くいく。巧くいってる。」 って信じる気持ち。 宇宙のバイオリズムは、 巧妙かつ、精妙、かつダイナミックで、絶妙にできている。 本来、当たり前に乗っているそこから、 自分が離れてしまっていたんだと。 肉体が弱って、 そ
これを言うと、ものすごく驚かれるのですが、 私は、その昔、アンチアロマテラピーでした。 その当時の私にとってアロマテラピーは、 セラピストとして欲しい結果が速やかに得られるものではない。と感じていたから。 けれども、Young Living社のエッセンシャルオイルを手にした時に、 「これは今まで知っていたエッセンシャルオイルとは、全くの別次元のものだな。」と一瞬で悟った。 衝撃! 一撃を受けて、それからわたしは、「どういうことよ?その辺のアロマと何が違うのか。」と
自宅からサロンまで徒歩で10分くらい。 その日の匂いを吸い込むように息をしながら歩く。 鼻に空気を通す。毎日のルーティン。 あぁ、この空気の匂いを知ってる。 あの国の朝の質感と一緒だ、とか。 冬から春へ変わる時の匂いだとか、 そうやって「今」を感じて 今日ここにいる自分にチューニングする。 香りと記憶 時に、切なく。 胸がキュッとすることもある。 でも、それでも、 そういう感触や感覚を愛しいと思うのです。 香りはどこにでもある。 アロマがそこになくても
もし、あのとき、あの年齢の時に、 これができていたらなぁ… あの時、こうしていたら… 今頃きっと… そんな気持ちが湧いてきて、 それにとらわれてしまうような時があるけど、 その後悔や後悔に似たものって本当なんだろうか。 なんか、後悔じゃなくて、 「たら」「れば」の希望であって、 どこか後悔としての現実味が、イマイチない気がする。 もし仮に、あれや、これや、をできる知識やチャンスがあったとして、 それをやる勇気がその時の自分にあったか、は甚だ謎だ。 今の私だから、 その