Vtuberの楽しさ

 最近「VirtualYouTuber(以下Vtuber)楽しいなぁ」と思ってて、楽しくていいんですけど、周りの人に「何が楽しいの?」って聞かれて「概念の説明が難しい…」と口ごもってしまうことが多くて、悔しいので何が楽しいのか自分なりにまとめることにしました。
 自分もにじさんじしか追っていないにわかなので、詳しい定義とかはWikipedia(https://ja.wikipedia.org/wiki/バーチャルYouTuber)見てください。うっかりたどりついたガチな人に「厳密には違う!」って怒られたら怖い。ごめんなさいあんま怒らないでください。酔った勢いです。

① 「人間」でありながら「キャラクター」
 自分が最初にVtuber知ったのはNHKニュースで見たキズナアイさんなんですが、その時は「へーキャラクターを中の人が演じてあたかもそのキャラクターが実在するかに見せるごっこ遊びね」って思って、その時はそんな興味持たなかったんです。自分はキャラクター実在しなくてもいい派というか、そんなリアリティに興味なかったので。
 その後たまたま見たVtuberを「トーク面白いなー」と思っていろいろ見ていく間にはまっちゃったわけなんですが。少なくとも自分が見てるVtuberは配信内容が雑談だったりゲーム実況だったり、要は「何気ないおしゃべり」がメインコンテンツなんですね。何気ないおしゃべりって、パーソナルな部分が最も反映されるというか、そこが勝負みたいなところあるじゃないですか。そのVtuberの人間性を面白いなとか好きだなって思っている自分に気付いたわけです。
 その一方、確かにキャラクターであり、目に映る姿としては「作り物」なわけです。キャラクターだから現実ばなれした設定がついていたりもします。でもそれはキャラクターを演じているというより、中の人(あえてこの言い方します)とキャラクター性が出会って、中の人とも設定されたキャラクターとも違う、新たな存在が生まれているという感覚を覚えました。「人間でありながらキャラクター」と前提がそもそも矛盾しているのに、矛盾なく私たちの前にいてくれる。「こいつは面白れぇや」となったわけです。
「人間でありながらキャラクター」であるゆえの追う楽しさを、以下でもう少し掘り下げます。

② 容姿をほめることに抵抗がない
 自分はリアルアイドルも好きなんですけど、実在する人間の容姿をほめるとか、容姿が理由で好きになるとかって心理的抵抗感ありません?「容姿で人を判断しちゃいけません」って教えられてきたじゃないですか。人間の容姿をコンテンツ化してそれを消費する自分に私は何となく後ろめたさを感じながらリアルアイドル追ってました。容姿至上主義の是非をここで論じるつもりはないし、みんなの「かわいいから好き」「かっこいいから好き」を否定する気は全くないんですけど、自分はなんだか罪悪感を拭えないなって話です。
 その点Vtuberの容姿は作り物なので、好感を持たれる容姿に作られているので、そりゃみんな当たり前にかわいいしかっこいい。正直「うわっ楽!」と思いました。リアルアイドル追うのやっぱしんどい、心理的に。なんの抵抗もなく「かわいいー」とか「かっこいー」とか思えるの超楽。「作り物を容姿で評価する根底には、リアルな人間を容姿で評価する価値観があるではないか」って言われるとなんも言えんけど。でも中の人の容姿とは切り離され作られたキャラクターの容姿だけを見ながら、その人の人間性みたいなもの好きになれるのは、ある意味容姿至上主義から自由でいられているんじゃないかって、個人的には思います。

③ 不変不滅、であるがゆえ「終わり」を自分で決めなければならない
 これもリアルアイドルとの比較になっちゃうんですけど、実在している方々だと、当たり前だけど年を取ります。私は「劣化」みたいな言い方嫌いなんですけど、事実実在する人間を商品化する以上、その人が商品として価値がある期間はある程度決まっちゃっていて、商品として価値がなくなったら引退せざるを得ないわけです。例えばみんなの妹!みたいな売り方しちゃうとある程度年齢いったらできなくなっちゃうじゃないですか。もちろん路線変更して残っていく方々もたくさんいるけど、要は「変わっていく」ということからは生きている以上誰も逃げられない、そこに物語があると思うけど。
 一方Vtuberは、年取らないわけです、少なくとも自動的には、キャラクターだから、サザエさん時空はほんと大発明。見た目はもちろん変わらないし、ライフステージ進んだりもしようとしなければ起こらないわけですね。中の人の変化とかはいったん置いといて、というか、中の人の変化とキャラクターを紐づける必要はないわけだから。作り物は老いないし、死なない。でもやっぱ、コンテンツってどんなものでも終わりが来るとも思うわけですよ、受け手は変わっていくし、同じことを永遠に続けるのって、たぶん不可能。コンテンツとしての寿命みたいなものを自分で見極めて、幕を下ろさなければいけない。Vtuber業界自体がまだまだ出てきたてでパターンも確立されていないからなおさら、多分そのわかりづらい「終わり」をVtuberの皆さん多かれ少なかれ意識しながら活動している。私はそこに、Vtuberの物語があると思う、今風の言い方をすると、エモい。

④ 「日常」という「物語」
 話を戻すけど、Vtuberのメインコンテンツは何気ないおしゃべりなわけですね。なんかすごいスキルある何かとかを見たいわけじゃなくて、何気ないおしゃべりをみんな見たくて見てるわけです。「技術を高めるぞ!」とか「なんかの大会で勝つぞ」とか「東京ドームでライブするぞ!」とかないわけです。わかりやすい物語は生まれない、でも物語なんだよな。何気ないおしゃべりが楽しいなぁとか面白いなぁとか好きだなぁとか、要は日常なんですよね、日常という物語なんですよね。
 今まで言ってきたみたいにVtuberって概念が特殊で面白い、でもじゃあそいつらが何するのって、何気ないおしゃべりをするわけですよ。何気ないおしゃべりで発信側も受け手側もみんなで笑って楽しいねって言ってる、優しい世界なんすよね。成長とか勝利とか意味とか意義とか必要なくて、そこも楽だなぁと思う。でもでもなんか、そんな良く意味わかんない存在の彼ら彼女らが作っていく物語って、ものすごく人間的で。Virtualな存在でありながら、あるからこそ、極めて人間臭い、要は私はそこが好きなのかも知れない。

以上!私の推しは月ノ美兎です!

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