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そのときにしか書けないこと。「自由」について。
久々に閑話休題です。
つらつらと書けるのはとてもリラックスする…。
今、カフェミチクサというお店を経営しています。
埼玉県の東大宮というところにあり、
東京方面からは40分くらいで来ることができます。
カフェの仕事に追われて、
空いている時間にPCのフォルダを整理しているときに出てきた自己紹介。
おそらく2020年に石巻で舞台に出演するときの自己紹介文だと思います。
読み返してみると若々しさが爆発してるので取っておきます。。
23歳、きらきらしとる…まぶしい…。
自分できらきらポイントを解説していきます。
・当日の見どころ、一言メッセージ
翔太や南たち家族とは違い、僕の役はちゃんとした名前がありません!
「名前はないけどたくさんしゃべるその他の一員」です。
「その他」は人ではありません。
人ではないので、へんてこな動きをするし、おかしなことを話します。
不思議な時間がたくさんあります。
見えてるのに見えてなかったり、聞こえてるのに聞こえてなかったり。
人が人じゃないものになったり。
本当に泣いたり、笑ったり、怒ったり、怖がったり。
演劇の時間は不思議でいっぱいです。
その不思議を面白いなと思ってもらえたら嬉しいです。
演劇を観たことがない人向けに書いた文章だなぁと感じます。
当時と変わらず、うまいこと言ってるなぁと自己満足…!
僕が演劇の不思議に出会ったのは、2018年の12月。
埼玉県に住んでいた僕は、
声優を志して入った養成所のレッスンを受けながら、
声だけじゃない他の表現にたくさん触れたいと思っていました。
あ、興味がなかったらあの、すっ飛ばしてください!!!
この茶化し方、今でもたまにやっちゃうけど客観的に見ると恥ずかしくて笑っちゃう。「あ、」と「あの、」がなんか良い…。
映画をもっと観るようになって、お笑いライブに行ったりもしました。
演劇を観に行きたいとも思っていましたが、
直近でどんな舞台があるか分からず、
お笑いライブの流れで吉本主催の朗読劇を観に行きました。
大変に感動した僕は「12月 おすすめ 演劇」と検索して、
大人気で満席だった城山羊の会『埋める女』の当日券を運よく勝ち取り、
これまた大人気だった柿喰う客『美少年』の追加公演を観たりしました。
舞台上にある不思議に、観劇初心者の僕は一気に演劇にハマりました。
そんな具合で、今でも僕は演劇にハマっています。
勢いと感動が伝わってくる良い文章だなぁと思います。
きっと筆がノってたはずです。
最近僕は「どうすれば演劇を盛り上げられるか」をよく考えます。
盛り上げる方法はいくつもあって、
実際に動いている演劇人の方々はたくさんいるけど、
それでもたぶん足りなくて、いずれ時代の早さに呑まれていくのかもしれないと思います。
それを避けるために、色んな方法で時代にアプローチをかけていって、少しでも演劇を広められたらいいなと考えます。
一つの方法として「地域に向けた演劇をする」があります。
観劇の文化を根づかせることによって、演劇は地域興しの手段になったり子どもたちの教育の一端を担えるものになる。
浅い知識で物申していますが、それは間違いないと思います。
今回の舞台公演はまさにその一つ。石巻では毎年「いしのまき演劇祭」をやっているそうです。今年は残念ながら開催できなかったようですが、その時期の一公演に参加できてとても嬉しく思います。
2024年現在では時代の早さに呑まれていくようすはありません。
当時の自分の「演劇業界」の見え方と、
今の自分の「演劇業界」の見え方が違うのが面白いです。
色々経験してより広い視野で見れるようになったから、
当時よりも切羽詰まってる感覚はほとんどありません。
自分が「地域に向けた演劇をする」ことで、
業界を変えようと意気込んでいたように思います。
最後に、全然自己紹介っぽくない自己紹介しちゃいましたので、
改めて自己紹介しておこうと思います。
自己紹介じゃない自己紹介を読んでくださった方、ありがとうございます。
自己紹介じゃない自己紹介を飛ばした方、自己紹介始まります。
オガワジョージです。新潟県柏崎市出身の23歳です。
好きな食べ物は立ち食い蕎麦。
苦手な食べ物はセロリでした。
好きな映画は「SEVEN」で、
影響を受けた小説家は星新一と宮部みゆきです。
特技はサッカーとロボットダンスです。
よろしくお願いします!
恥ずかしポイントその2。
昔からしつこいのが好き。
そのときの自分にしか書けないことありますよね。大きな壁や悩みに直面しているときの絶望感とか。そのときしか出てこない中身のこもった言葉があるよなぁと。それを頭のなかで考えて、いったんスルーして、まとまったら振り返るようなやり方もあると思います。僕も少しずつ、時間のなさを理由に、後者になりつつあります。
でも向き合えるのは「そのとき」しかないんだよなぁと感じていて、そのとき出した「言葉」はいつかきらきら光るんだろうなと思うと、「自分のために記録をする」のが良いと分かっています。
分かってはいるけどやらないのはなんでなんだろう。僕は苦しいときに頭のなかが言葉でいっぱいになって、誰かに話すことで整理されて落ち着くことが多いです。どうしようもないときは、抱え込んで限界を迎えるんですが。
昔はノートに書いたり、日記に書いたり、TwitterやInstagramにつぶやいていたけど、少なくなってきた。今の自分のことよりも他のことを優先しているから、時間を使わなくなって鈍感になっている気がします。
自分の心身にたいする感度が下がるのは、俳優としてあまり良くない気がして、どうしようか悩んでいます。そういうときこそWSに赴いたり本を読んで、知識を得るのが今までの突破口だったけれど。
WSに行ったり本を読んだりしなくてもスルーできてしまうから、必要に駆られていないから、やらないのかもしれません。
「必要に駆られたらやる」がベストだし、他の人から相談を受けたなら自分でもそう答える気がします。でも何かモヤモヤします。この「どっちでも良い」みたいな感覚。0か100かで考えてしまう癖がそうさせてるのかな…。
「どっちでもよくね?」と諦めるのが苦手なんだなぁ…。
「決める」ことを大切にしすぎなのかもしれない!
個人経営でカフェを始めてから、色々なことを一人で決断しなくてはいけなくなったから。すばやく判断をしないと自分の首を絞めることになるから。カフェの売り上げが自分の生活に直結する今、「どっちでも良い」「何とかなるさ」が信じられないのかもなぁ。
とある日の帰り道、限界がきて結局自分はどうなりたいのかを考えました。
ふと「自由になりたい」と思いました。もっとカフェの場に縛られることなく、色んな場所を駆け回っていたい…! 誰か他の人に営業を任せて、自分は出稼ぎのように外回りをしたい…! そのために何が必要か考えよう!
という具合に。
でも結局、自由には責任がともないます。
すべて自分で決めていかなければならない。
あぁ~今書いていて思いましたが、自分はもう「決める」ことがいやになってきていて、決めたことで生じる「責任」から逃れたい。責任を負わないように「決めない」方向に行きたいけど、立場上決めなければいけない。
というか、すべて自分で決めて進む自由もあれば、なにも決めないでいる自由もあるや。
「自由になりたい」を掘り下げたら、「生活の不安や責任を背負いたくないのでは」となり、「すべて自分で決めて責任を負う自由」もあれば、「すべて自分で決めないで責任を負わない自由」もあると気づいて。それなら「すべて自分で決めない自由」の方に進むのが、今は最適なのかもしれない。
ということはお店のことを考えるブレインみたいな人を見つけて、その人の手足になって働きまわるのが良いのかもしれない。
うーん、それだと自分がやりたいことや学びたいことができないように思う。なんか違うと感じてしまった…笑
「責任をできるだけ小さくする」が良いのかも…!
やっぱりチームで動きたい。
団結したチーム。
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