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夜風が涼しいので、

夜風が涼しいので、明日はお休みなので、なんだか気持ちが落ちてるので、今夜はだらだら夜更かししている。

子供の頃も、こんな風に真夜中、一人で起きていた。気持ちが落ちて、宿題もする気になれなくて、当時は絵を描くのが息を吸うくらい当たり前のことだったのにそれも出来なくて。そんな時は真夜中まで起きていた。窓を開けて、机に突っ伏していたり、漫画を読んだり、本を読んだり。ラジオに耳をすませたり。
昼間はよく聞こえる隣の家の子供の声も、ちょっと離れた家の犬の鳴き声も、何も聞こえない。夜風に揺れるカーテンと、自分の息をする音と。寝静まった静けさは、寂しいけれどさみしくない。自分以外の人はちゃんと存在していて、生きていることが分かるから、さみしくない。誰かを起こさないように、部屋の電気はついてるけど、窓だって開いてるけど、なるべく静かに。しーって、誰にいうでもなく。

自分だけしか起きていないのが、なんだかほっとする。一人で暮らしているわけじゃないから、冷蔵庫にぴったりとくっついてお茶を飲んだり、何となく財布とケータイを持ってドライブに行くとかは出来ないのだけど、部屋でだらだらしているだけで、とてもほっとする。

息をするのが苦しくて、なんだか色んなことがつらくなって、なんてことない事が物凄く大きなことに思えて、心の中にしにたい。って浮かんできたりする。ほんとにしにたいって思っちゃって、きえたくなっちゃうから、自分をころさないために、真夜中の時間を選択する。
突然ごめんね、なんて、電話を掛けられる相手なんていなくて、下手なところをふらふらしていたら警察に声掛けられそうだし、家でぼやーっとしてるのが楽ちん。ネットの海をふよふよと、流れに身を任せて。

おやつをつまんで、お茶を飲んで、音楽を聞いて。窓辺にいれば風が涼しい。わーわー言ってくる人もいない、私が今何をしていようと寝てるから分からない。すごく、すごく、気が楽。

同じようなことを繰り返しだらだらと書いている気がする。考え事出来るほど、元気が戻ってこない。思ったことを、だらだらと書いている。それが、すごく、すっきりする。
書くことは、吐き出すことと同じだから、書いたら、すっきりする。中に溜め込むのはよくない、少しずつ淀んで、排水口の目が詰まって、息が苦しくなっていく。息が苦しいのに、眠くならなくて、なんだか何がしたいかわからなくなってって。

とりあえず、水で出来てると聞くから、お茶を飲んで、ぽちぽちと吐き出して。音楽を聞きながら、風が涼しいとかにやにやしながら。
そうか、もう二時なんだね。でも、まだ二時なんだね。

書きたいこととか、お話書きたいなとか、色々考えて始めたnoteなのに、今のところ、吐くところにしかなってないや。
でも、こういうのが、いわゆる、闇があるから光が光になる、みたいな、ものになればいいなあとか。だってしにたくなるんだもの。それはわるいことじゃない。生きていたいのに、苦しいから、しにたいってなるのよ。私だけじゃないよね。多分。人間なんて矛盾だらけよね。迷ってもいいじゃない、生きるのなんて初めてなのよ。残念ながら。大人になったけど、まだ生きるのなんて初めてだから、過去の経験を頼りに生きるしかないのよ。みんなそうでしょ?

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