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うちの。

家族のかたちって、多分何でもありだ。
君と僕がお互いを大事だと思って、共に生活したり、帰りを心配したり、風邪気味の時にそばにいてほしいと思ったりしたら、もうそれは家族のような気がする。

おとーさんがいて、おかーさんがいて、僕がいて、なんて、それだけが家族だなんて。そんなこと、誰が決めたのだろう。それが正しいなんて、なんで言えるんだろう。
(お酒ばかり飲んでいて仕事に行かない)おとーさんがいて、(そんなおとーさんに毎日叩かれて、泣きながら僕を睨みつける)おかーさんがいて、(そんなおとーさんとおかーさんしか知らないから、それがふつーなんだと思っている)僕がいたら、それも正しいんだろうか。

僕にとって、君はとても大切で、恋をして、それだけじゃおさまらなくなって、愛するようになっていって。例え君が僕と同じ男の子でも、女の子でも、どちらでもないのだとしても、君が君であればそれ以外はなんでもよくて。僕が大好きで、大事な君が君ならばそれでよくて、そんな君と僕は家族になりたくて。

毎日ありがとうと大好きを重ねて、お互いを大事に大切にして、共に生きていくことが出来たなら、それはなんて幸せなんだろうかと。君を抱きしめて、唇を寄せ合えることを、愛という言葉で表してみる。でもなんだかくすぐったいから、僕は大好きって抱きしめてばかりだ。

* * *

初めましてのあの日から、あなたはよく抱きしめてきたし、抱きついてきたし、とにかく愛することが好きな人なのだと思っていた。無理をしているわけじゃなく、心配しているわけでもなく、自分が好きだからしているのだというのがいつだって伝わってきた。

誰かを好きになるのに、見た目から入ったり、内面が見えてきてからだったり、色んな人がいるのだと思う。
(身近な例では彼女は本能で分かるタイプだったけれど、ぱっと見て自分と合う/合わないが分かってしまう。)
僕らは、そんな彼女が引き会わせてくれて。ご縁ご縁と笑う彼女は楽しそうで、その顔を見ているのは嫌いじゃなくて。彼はそんな彼女以上によく笑い、よくしゃべり、同じくらい抱きつき魔で、ほんの少し寂しがりやで。

表情の豊かな人というのはやっぱり見ていて面白いものがあって。それはきっと私とは明らかに違うからなのもあったのだろうけれど。
私とは違うということが、とてもむつかしくて、楽しくて、惹かれていく。興味をもってしまうし、気になっていく。面白半分の探究心は、やがて深く深くまで沈み込んで、そしていつの間にか私は彼の中に入っていってしまったのだ。
そこからはもう自分ではどうすることも出来ず、どうしたいだとかもなく、多分それって愛ってものでしょう?だとか。

当たり前のように隣にいて、ちらりと目をやればやわらかなまなざしがかえってきて。それだけで穏やかな風が吹き抜けていく。家族のかたちなんてよくわからないけれど、この穏やかさを共有出来る相手がいることを幸せに思う。

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