大賢者と砂時計

コロナ禍に加えて非常事態レベルの冬の豪雪で、だいぶ日が経ってしまったが納骨へ行ってきた。お骨箱を火葬の時ぶりに抱っこしたけど、もうあのときのあたたかさはなくて、それがすこしさみしいと思った。生前は手をにぎった記憶もないが、頭を撫でられたことくらいあったかな。一度くらいあったかな。そんなレベル。ものを受け取るときに指先がふれたとか、そのくらい。そんな人を、お骨だけど抱っこできていることが幸せだった。

こんなご時世だったけど家で最期まで生ききった人。ずっと憧れて、目標で、認められたくて、ほめられるとほんとにうれしかった。私の前ではただの祖父だった。ふつーも当たり前も、いまいち当てはまらないことが多い家族たちだけど、私はこの人がほんとうにすきだった。

喪服にまとわりついて連れ帰ってきた線香の香り。かぜがつよくて頭にかかったような気がするお骨の細かな粉末。やっぱりさみしいしかなしいのに、もう涙も出ない。生きづらさだとか困ってることは、祖父とは全然関係ないことで、彼のいない生活を当たり前に過ごしている。時々ふらっと、ふわっと、あのたばこの煙みたいに思い出すことがあるけど。あーそういえばそんなことあったっけなって。

忘れたつもりなんてないけど、悲しい気持ちはいつの間にか透明になって目に見えなくなる。たしかにしまっておいたはずなのに、そこにあるはずなのに感触がない。おかしいなって思って、でもまた探してみようなんて思っていたらふいに涙がこぼれる。でもその頃には探し物があったことすら思い出せなくて、なんだこれってなるんだと思う。そうやってすこしずつ、ぼんやり透明に見えていた輪郭まで見えなくなって、頭の中から心の中に吸い込まれていく気がする。それでまた、誰かの納骨の時に、先に眠るあなたが見えたとき、また煙のように姿をあらわしてほしい。


【75日で亡くなった人の記憶は消えてしまうらしい、について】

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