育ってきた環境が違うから好き嫌いは否めない

「三つ子の魂百まで」という諺があります。
人間の性分は生まれながらにしてある程度決まっていてその性分は変わらないと言う諺です。ただ複雑な現代社会においては「朱に交われば赤くなる」という諺の方が非常に大事な気がしています。
山崎まさよしのセロリの一段、「育ってきた環境が違うから価値観は否めない。」
家庭環境や友人関係、過去の恋愛、職業、僕は知らず知らずのうちに生まれたての僕らの感性のみでなく良くも悪くも影響を受けている訳なんだなあって。
セロリではそんな価値観の大きな溝を受け入れつつも「つまりは単純に君のこと好きなのさ」
なんて言ってしまっているけれど。
それは恋愛の盲目さを謳いに歌っているだけなんだなあと最近は思うようになってきた。
生きてきたその道程全てがあまりに遠い関係であればあるほど瞬間的には惹かれ合うだろう。
でも忘れてはいけない。住んでいる世界が違いすぎて。いつか居心地の悪さを感じてしまう。
畢竟、瞬時の楽しさを共有する関係性に帰着する可能性が高いんだ。一概には言えないけどね。
「水清ければ魚住まず」なんてあるけど「水汚ければ魚住まず」も然りであってね。
とっても悲しいことだろうけど。似たような家庭で似たような学習歴で似たような就職をして。似たような人生観を持つ。
「育ってきた環境が似てるから好き嫌いはわかりあう」が結局は長続きする関係になりやすく。一緒にいてストレスも溜まりづらい。
名曲にほだされて全然違っていいなあとか簡単に思うのは安易なんだ。
どうしても価値観が否めなくて好きなら、狂人になる覚悟で相手のカルチャーショックを受け続ける必要があることを忘れてはないならない。

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