健康。って

健康に気を使いすぎると心が貧しくなる


最近そんな気がしてならん


前々からそんな気はしてたけど、最近自分の中で情報がまとまってきた。



食に関すること
睡眠に関すること
運動に関すること

美容に関すること
セルフトラッキングに関すること

沢山あるけど。

前提として、今は調べればなんでも情報が入る社会。
インターネットで調べる情報は基本、自分が調べたい情報。確証バイアスも働くし、知識の総合的な獲得にはなりにくい。普遍的な基礎を学んで応用を学ぶのではなく、都合の良い小手先の応用ばかり世にはびこる。
即効性があって、キャッチーで、自分も変われるんだという期待を持たせやすい。

バズれば数が増える時代。
フォロワーが増えれば、再生回数や表示回数が増えれば、お金になる時代。
キャッチーなものが目につくのはあたりまえ。
学問、知恵、基礎みたいな、普遍的なものはコスパ悪いから。目に見える結果でないから。

前提として、今の世の中は情報が氾濫している。
正しい情報、普遍的な事を教育してくれる情報、恒久的な情報もその中にはある。
でも、応用的な情報、正しくはあるけど偏っている情報、刹那的な情報、が果てしなくある。そしてそれはキャッチーだから流行りやすい。目先の利益を求めがちな人間はそれにつられて踊らされてしまう。
情報社会の悪い面。
リテラシーをつける意味。
そんなところにも繋がる。

という前提の話でした。




〇食に関すること

コーヒー
体に良いのか悪いのか
カフェイン、ポリフェノール、云々言ってますけど。
朝イチはだめ、寝る前はだめ、
良い時間もある、健康リスクも、メリットもある。
興奮作用、リラックス作用、どっちやねん。

これもそう。
表面的な情報の羅列だとこんがらがる。
深堀すれば仕組みがわかる。仕組みが分かれば繋がりがわかる。繋がりがわかれば作用がわかる。
ひとつの結果として出てきたものも、裏では色んな要因が繋がっていて、ひとつの現象がひとつの因果で起こってるのはほんとない。



玄米に潜むワナ、
タンパク質のとりすぎに注意??、
たまごは1日12個食べろ、
これさえ食べとけば大丈夫、
スプーン1杯のアレで健康に、
云々。
とてもキャッチーで目を引く。

体を作る、三大栄養素、
基礎から学ぼう栄養学、
医師が教える最高の食事術、

いくらキャッチーにしようとしても小難しそう。
キャッチーにしようとしすぎても、それが目に見えて、なんかあざとい。小賢しい。
買わせようとしにきてるなみたいな。
俺は騙されないぞってなっちゃう。



〇睡眠に関すること

これもそう。
何時間寝れば良いのか。
ある程度、他と比べて基礎の情報は固まってるけど、突き詰めればほんとしんどい
あれしなきゃいけない、これしなきゃ
湿度、温度、時間、素材、食事、ルーティーン、その他の要因。

突き詰めればキリがない。
気にしすぎたら気になっちゃって眠れない🤷‍♂️



〇運動に関すること

これもそう。
どうしたらええねん。
運動するのは良い事。それはそうなのは知ってる。
最低限はしよう。健康でいたいからね。
それはわかる。

突き詰めればしんどい。
筋肥大、引き締めろ、体脂肪率、
美しくあるために、細く健康に、

日常的なことで言うと、
1日何時間は運動しましょう。
週何回のなんたらで健康に


でもちょっとまって、これは恒久的なことかもしれん。


運動に関しては、少し違うのかな。
運動は、しましょう。
これが今の流行りで、あたりまえのことか。
運動に関しての問題は、運動不足。
これさえしとけば系かな。それに則した歪み。偏り。そのくらいかな。

そもそももう、現代人は正味健康的に歩けたら問題ないみたいな。
ある程度答えは出てるのかな。
それとも俺が関心が薄いだけか。



〇美容に関すること

これほんと色々あるんですね。
俺もちょっとしか知らないけど、

最近、紫外線ケアするようになった。
YouTubeで調べてみたら情報がすごいすごい。
クレンジング?SPF?美容成分?なんじゃそりゃみたいな。
紫外線ケアだけでも情報ありすぎる。

たぶん紫外線ケアは他の肌ケアとの組み合わせとか、継続することが大事だったり、ほんと基礎があっての応用の部分だから余計選択肢があるのかもしれないけど、
無理(⌒▽⌒)


美容に関しては本当に情報が氾濫してる。
こらはほんと、美容に意識の高い人が世の中にたくさんいることの証明。
美への欲求は色んな側面を持ってる。

生存本能に繋がるという意見もあるし、自己実現欲にも繋がるとも思うし。

美への探求は終わりない。




〇セルフトラッキングに関すること
これもほんと、心が貧しくなるに繋がる。

気にしすぎてしまう。
自分で自分を管理すること。
とても大切だと思う。
自立への第一歩にもなるし、それこそ自分ほど融通のきくサンプルはないし、自分ほど倫理問題を気にしなくて良い存在もいない。
研究対象として都合が良すぎる。

でもだからこそ、やりすぎてしまう。
自分のために、健康のために、自分で自分を管理する。
一件正しいようで、やりすぎたらしんどくなる。

実験対象への配慮は絶対にするべき。
身体的配慮、精神的配慮、社会的配慮。
してあたりまえ。
自分だからって結構疎かになる。

自分が健康になるために、自分がやるって言ったこと。
だったら何しても良い訳じゃない。

常に監視状態、常に実験対象状態。
そんなのしんどいに決まってる。
常に気を張っている状態。
しんどいよ。

感じの目から外れるプライベートな時間。
セルフトラッキングだとそれが無い。
だって研究者も被験者も自分だから。
逃げ場がない。
実験中止しても結局自分との縁は切れないし離れることも出来ない。
失敗して責めるのも自分。
反省するのも自分。


その先に健康があるのかもしれない、
継続して慣れればなんて事ないのかもしれない。
確かにそうかもしれない。
でもしんどいって。

そんなに健康を追い求めてどうする。
健康はひとつのゴールかもしれないけど、
ひとつの幸せの形かもしれないけど、
でもそれだけじゃないはず。

太く短く生きたって良い。
ありのままの自分で良い。
良くなくたっていい。



「よく生きる」の基準も人によって様々。
こんなこと考えない人の方が幸せの場合もある。
考えすぎはストレスだよ。よく言われる。
難しい。
健康でいること、好きな自分でいること、社会で生きていくということ。

難しい。
考えれば考えるほど難しい。
気にすればするほど肩身が狭くなる。
難しい。




でもやっぱ結局は、自分を認めることが俺は良いと思う。
その方が生きやすい。
生きやすく生きて良いのかとか、
苦労しなきゃ、努力しなきゃ、自分は不幸でなきゃ、

うーーーるさい。
幸せになって良い。
自分の求めるものに近づいて良い。
ありのままで生きてて良い。

そりゃ、健康になりたいなら、なれば良い。
ビーガンになりたきゃなればいい。
権利を主張したけりゃすれば良い。
自分のしたいようにすればいい。

出た杭は打たれる
そりゃそう。
社会はそういうもの。
社会の構造とかそんな感じの話も絡んでくるけど、
わからん。
もうわからん。
頭いっぱいだ。



とりあえず、情報が氾濫した世界で、
私は、自分の信じる道をいきていきたいとおもいます。



とここで思ったのが、
多分だからこそ、ロールモデルというか、そういうのが必要なんだろうね。
今余計に。
インフルエンサーとかが今ある程度の地位にいるのは、情報が氾濫してて、何を信じたら良いかわからない、みたいな。
だから俺はとりあえずこの人達は信じる。
脳死で考えて、とりあえずここーみたいな。
思考のショートカットの行き着いた結果がインフルエンサーなのかもしれない。



わからん、むずかしーーー

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