性善説、性悪説

to 教育大好き人間へ

どうも、羽田です。

今日は、また少し趣向を超えて、たまに話される「性善説」「性悪説」について話そうかな!

性善説提唱者の孟子さん

性悪説提唱者の荀子さん

これらの言葉を聞くと、人間は善!人間は悪!という、議論をおっぱじめる、人がよくいるよね。

けど、孟子さんと荀子さんが言いたいのは、そういうことじゃないんだよね~

この、性善説、性悪説をなぜこの二人は説いたのか?

ズバリ、この二つの考えは教育論なんですね~

性善説:人間とは生来、善の性質を有していて、悪に染まらないために、教育を施せば、人はみな聖人になれる。

性悪説:人間とは、生来弱い存在で、それを克服するために、教育を施す必要がある。

これが、性善説と性悪説

そもそも善悪の二元論でもない。

荀子の言う悪も、せいぜい弱い存在ぐらいの意味。

違いは、教育を施すにあたっての、前提と目的。

全ての事象において大事ではあるが、あえて今回は教育に絞って話すね。

最近、GLT関連で北欧に興味を持っている子と会うことが多い。

大体の子は、今の日本社会の何かしらに問題意識を持っていて、けどどうしたらいいか分からず、北欧のモデルが気になってる子。

5月12日は北欧の「すごいところ」展当日だった。当日は、実行委員会も含めれば100名を超える割かし大きめのイベント。

割と色んな人と話して気付いたこと。

この子達は、前提や手段が曖昧なんだろな、、、

北欧教育という一つの手段にはめっちゃフォーカスしてくれるし、興味も持ってくれる。

けど、意外と

教育とは?

みたいな問いを考えてなかったりする。

そもそも、教育自体が手段であるはずなのに、、、

教育実習で子供像、子供観をなぜ考えるのか?

教育とは、子供の現状と、なってほしい理想像を結ぶ線でしかない。

じゃあ、そもそも今子供はどんな状態なん?

この前提を考えているのが性善説、性悪説。

分かりやすいね!これは、二元論じゃなくて、自分の思想でしかない。

あなたは、どんな前提の基、どんな教育を体現したいんですか?

さらに言うと、理想像が明確じゃなければ、この問いには答えられないよね~

しかも、その現状と理想を繋ぐものが「教育」かどうかは、その人の思想次第・・・

難しいね(;´・ω・)

そもそも、君の教育観や前提に対して北欧教育は適切のなのか?そもそも教育なのか?

それぐらい、考えた先に見出した、君の「教育」は本物だろう。

どれだけ、思想をもっているか、再度自分に問うてみて欲しいな!

そして、それを人にぶつけることで、さらにブラッシュアップして欲しいし、対話を通して、新たな気付きを得れるんじゃないかな!

俺自身まだまだやし、みんなと高めあえたらいいなぁ~