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羽田史

to 羽田のことがよう分からんそこのあなたへ

羽田です。

これは、確かフィリピンの支援事業に関する体験談を、JICAの研修生の方々100人ぐらいの前で英語でプレゼンした時の写真。なんか、できる人感が出てて好きな写真(笑)

忘れる会で撮ってもらった写真。バンドマンしてそう。(知らんけど)

皆さんにとって「羽田」ってどんな人なんですかね?

ちょっと、知りたい感ある。みんなからどう見えてるんやろ??

今日は、羽田の人となりを書きます。まあ、これを知って読んでる君にどんなメリットがあるかは分からないけど、読んだら「羽田」のことが数%理解できます。やったね!

持論ていうか、価値観に近いものやけど、仕事を一緒にしていく上で、どれだけそいつと一緒にやりたいって思えるかって大事だと思ってる。こいつと一緒にこの夢を追いかけたい。一人でも追いかけたい夢があるのは前提。より良い夢やより良い結果を出すためには、仲間が重要。もはや酸素。けど、moreのmoreかもしれないけど、人柄も求めちゃう。親友であり仲間。馴れ合いや依存じゃない。本気の戦友に近い存在。そんな奴と夢を叶えたい。

一緒に酒飲んで、バカな話して、遊んで、語り明かして、また次の日には、夢に向かって死にもの狂いで突き進める存在。

俺も、誰かの酸素になりたいな~

けど、どうやったら、自分のことを分かってもらってって言えるんだろね?

どうやったら、人のことを分かったって言えるんだろね?

よう分からんわ。

とりま、話すね~(相変わらず、本題が遅い)

趣味

①お酒:飲みにケーションが好き。その人の素が見れるから。あと、年齢関係なく腹割って、何でも話せるから。正味、俺がリスト割と持ってるのは全部、飲みにケーションのおかげ。あと、自分でカクテル振ります。シェイカー持ってる勢。

友達の家でDIYした時に作った、酒棚。我ながら、おしゃれだと自画自賛。

あと、自分たちで果実酒も作ったりもした。

②ゲーム:中高時代は、勉強とゲームしかしてない。小学校の頃は、中学受験をすることを勝手に親に決められ、小1から塾に通ってた。明らかに、人より、遊んでなかった。それが爆発したんかな?今でも、好き。今は、基本的にソシャゲしかしてない。「FGO」「ダンジョンメーカー」「アイデンティティーⅤ」「MJ」基本この4つ。課金も割とする。一回酔った勢いで4万ぐらい溶かした笑 ちなみに、ユーザー名は全部「はーちゃん」、自分のあだ名好きすぎ笑

ゲームする時間創るために、仕事の作業効率をバリ上げたアイセック時代。今でも、仕事を早くしてくれるのは、ゲームなのかもしれない笑

③EDM:音楽は基本的に、テンション上がる曲、ノレる曲しか聞かない。朝家出る時とかにEDM垂れ流しながら、歩くと自然とスイッチ入る。EDMのテンポで歩くから歩くの早くなった。べたやけど、Nicky RomeroとかW&Wとか好き。

④カラオケ:歌うのが好き。ストレス発散でよく一人で行く。だいたい、カラオケ行きたくなったらストレス溜まってる証やから、ちょっと仕事と距離置いてみたり、カラオケ行って、上手いこと自分をあやしてる。

書き出したら、いっぱいありすぎて書くのめんどくなってきた・・・

他にも、いっぱいあるよ、興味があれば聞いてね!


羽田史

小学生

中受を親に決められていて、小1から塾に通っていた。親が、俺を偏差値とテストの点数でしか評価してくれなかったから、勉強はめっちゃしてた。けど、親が俺をその物差しでしか評価してくれなかったから、俺も自然と人をテストの点数でしか評価してなかった。多分、小学生の頃が一番荒れてた。勉強で友達と遊べないことへのストレスかな?週七で習い事があった。水泳、そろばん、英会話、塾、プログラミング。小4ぐらいから、本当に学校に行く意味が分からなかった。知ってることしか学校では教えてくれない。行く意味がない。本気で思ってた。宿題も、2年間ほとんどしなかった。授業中も、基本的に好きな本をずっと読んでた。先生と喧嘩しまくった。その後、清風中学のトップクラスに合格。今振り返っても、小学校の想いでは、基本的に勉強と本。ちなみに、小3の文集で書いた、将来の夢はショコラティエ。可愛い。


中学、高校生

進学校で定期試験の成績順に、クラスが振り分けられる学校。結局、周囲がいい大学を目指すやつらばっかやったから、特に何も考えず、最初から京大を目指してた。ただ、小学生の時のストレスからか、ゲーム三昧の生活。成績も上の下って感じ。しかも、通学が片道2時間かかってたから、部活もできなかった。高校の1年の冬、文理選択を迫られ、初めて自分の夢を考えた。結局、ゲームが好きで、ゲームの企画業がしたいと考え、実際に東京のゲーム会社までヒアリングに行って、京大の経済学部を目指すようになった。我ながら、この時から行動力あったなと思う。その後は、死に物狂いで勉強してた。1日15時間ぐらい。なんで、こんなに勉強に打ち込めたのかは今でも分からない。


浪人生

受験に落ちた。落ちたときに、色々考えて、自分がゲームを作るという夢に向かって、勉強してなかったと気付いた。だから、もう一度夢を探そうとしていた。そんな時、中高時代の親友が、西成の児童養護施設でボランティアを始めた、と言い始めた。正直びっくりした。ボランティアしてる暇あるなら、勉強しろよ!割とマジでそう思ってた。けど、それと同時に興味も持った。この出来事が、人生のターニングポイントかも。そっから、世界の危険な通学路みたいな特集番組を見た。自分が当たり前のように享受している、「教育」は世界では当然じゃないこと。勉強したくても、出来ないこと。自分は、通学が憂鬱だった。勉強なんて空気みたいなものだった。あって当たり前、無い生活がイメージできない。けど、その「当たり前」は当たり前じゃなかった。それが、どうも引っかかった。なんとなく「嫌や」と思った。なんとなく、そんな世界を変えたいと思った。そんな違和感が膨らんで今がある。なんか不思議な感覚。


大学生

結局、京大はダメで神大に入った。そして、浪人期の想いを胸にアイセックに入った。勿論、教育に携われるPJに入った。アイセックでも色々あったな~

長くなるから割愛(別で書く)

そして、今TPFに入った。いろんな想いを胸に

最初は、小さな違和感から生まれたこの思いが、今では、こんなにも大きくなってる。不思議。

けど、そんなもので、とりあえず、自分の想いに素直になれば、自ずと色々見えてくるんじゃないかな~

自分の想いに素直であること、それが大切な気がする。




まあ、こんな感じ~

結構端折ったけど、意外と長くなるね。

まあ、気になることがあれば聞いて下さいな~

自己開示って何を開示していいか分からないから、開示してほしい情報を提示してほしい感あるけどね(笑)

なにか、羽田に興味持ってくれるきっかけになってくれたらいいなぁ。