月末の音#1 思想披露宴
あぁ〜!月末の音ォ〜!!
ということでこんにちは。きゅうりです。月末の音が聞こえてくる時期になりましたね。マリメ勢もっと喋ろうの気運に乗れずあんまりツイートできていないことへの反省として、毎月こんな感じでnoteに読み物を書いていこうと思います。
今回は「最近のコース批判」に対する思想を書きます。
状況分析
皆さんこの頃、「最近のコースは〜〜」という批判意見を目にすること(もしくは自身が批判すること)が多いと思います。これ自体も一昔前の話題になりつつあるかもしれないけど。この状況を自分なりに分析してみようと思います。なお、以下で「最近のコース」という言葉は「最近現れた制作勢が主流の作風に影響を受けて作ったコース」という意味で使います。批判の対象とされがちなのが主にこういうコースだと思っているので。また、この記事を通して誰かを批判するような意図はないのでご承知おきください。
突然ですが、マリオメーカー人生は実際の人生よりも遅く始まり早く終わります。そのため、マリオメーカー人生は圧縮された人生と捉えることができます。すぐに歳をとります。何だか、犬年齢みたいですね。マリメ老人という言葉がありますが、単なる比喩や卑下ではなく結構ぴったりな表現なんじゃないでしょうか。
さて、マリオメーカー人生を圧縮された人生と考えると、マリオメーカーのコミュニティは圧縮された社会です。ここまで読めばより分かりやすいと思いますが、「最近のコースをマリメ老人が批判する」ということは、まさに現実世界において「若い世代の文化を上の世代が批判する」ことに等しいですよね。もっと絞って音楽の話にします。昭和歌謡好きの年寄りって、最近の曲に興味がなかったり、内容が薄いと批判したり、全部同じに聞こえると言ったりしているイメージないですか?これ、最近のコース批判と全く同じじゃないですか?「見たいと思えない」「印象に残らない」「全部同じに見える」など、批判意見としてよくあると思います。社会の縮図ですね。
「全部同じに見える」理由
一方で、同じに見えるとまではいかなくても、確かに最近のコースの多くが似ているように感じる気持ちも分かります。その原因は、具体的なものが流行しているからだと考えています。ブレーキ、ドア・土管フェイク、オトアソビの視覚効果などは典型例で、最近本当によく見られますよね。これらは入っているだけで共通点になるので認識しやすいんです。昔の流行って「高密度」「甲羅を飛ばして伏線を張る」など抽象的で、コースに導入する方法が人によって様々なものだったと思うんですが、上に挙げた最近の流行って、具体的な分個性が出づらいじゃないですか。マリメ老人なら自分の作風に溶け込ませつつ個性を残した使い方ができる人もいますが、経験値の少ない制作勢がこぞって流行に乗ればそりゃ同じように見えるのも納得できます。これは、最近のコースを「最近現れた制作勢」のコースと定義した理由でもあります。
というわけで、最近のコースは昔に比べて、特徴を認識するためにより細かいところを見ることが要求されるという点が、全部同じに見えるという感想を生む原因だと考えています。
制作理論の提案
ここ数年で制作界隈ではクリチェを前提としない観賞用コースが増え、難易度やプレイの楽しさではなく芸術性を求めるのが主流になっています。そのため、最近のコースを語る上で芸術性という観点は外せません。
音楽にしろ絵画にしろ、芸術にはある程度の型があると思います。とすると、コースが芸術化しているなら、制作にも型があってもおかしくないですよね。この要素を入れれば見栄えが良くなるよ、こんな展開にするとかっこよくなるよ、みたいな。こういうのを体系化してみるのも面白いかもしれませんね。制作理論の体系化、誰かお願いします。
最後に
ここまで色々思うことを書いてきましたが、結局言いたいことは「自分が好きだと思うコースを推そう。自分の作りたいようにコースを作ろう。」です。だって好きなようにやって楽しむのがゲームだもん。他人のコースに「それは違う」と主張すること自体が無意味です。
以上、思想披露宴でした。一個人の意見なのであんまり問い詰めないでください。怖いので。飽きていなければ来月も何かを書きます。それでは!
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