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寄り添うってこと

眠れない夜。ふと言いたくても言葉にならなかった言葉が。

雲の中を落ちていって、急に目を突き刺す光とともに視界が開けるように。

たくさんの理由の数珠をひっさげて降りてくることがある。



久しぶりのnote更新です!きゅまです。特に理由もなく突然初めてのエッセイっぽい”何か”が書きたくなったので書きます!

エッセイということで自分が思ったまま。感じたままに書くので、所々シリ!メッツ!!レツ!!!になるかもしれませんが最後まで読んでいただけましたら幸せます。



輝くものは言葉に託して(カクして)

夏真っ盛りの頃、ikuraちゃんおすすめの『わたしたちの猫』(文月悠光さん著)を連れ帰ってきて、中学生以来に詩に触れる機会ができた。

あんまり久しぶりすぎたから。


半年ぶりに実家に帰ってペットに挨拶するような、大好きなものに会える喜びと、覚えててくれたかな。。と変な緊張を含んだ感じでいそいそ本を開く。



開いてびっくり。。やべ、全然意味わかんないや笑笑



小学生までは、言葉に触れるだけで楽しくて。

意味わかんなくても知ってる言葉を見つけて喜んだりして。
優しい言葉がたくさん載ってる詩集が好きで、図書室にある詩集15分で読み終わって昼休みの間にもう一冊読んじゃったりした。

中学生の頃は、ちょっと頭が良くなってるから。

自分の中にある経験知識を少しづつ落とし込めて今考えるとちょっと無理やりすぎるこじつけでクリアしてた気がする。この詩、めっちゃわかる……(The 中学生)的な。。そんなに時間はかからずに満足していた。




専門書の難しい文字の羅列に苦しんでる今なら、ヒョヒョヒョって読めるよね〜って思ったりもした。


物語の情景描写にもたくさん触れてきたし、どんなふうに景色広がるかなと楽しみも感じてた。


でも読んでみれば言葉の組み合わせだけ見れば全然関係ないものばかりで、

全然知らない分野の専門書の言葉の海に飲み込まれる感覚を覚えて、一生懸命因果とか論理とかでつなげようとする自分に笑ってしまう。


詩の独特なリズムに体が慣れるのを待つように、おんなじところをグルグル読んだりして。一つ目の詩を読み終わる頃には15分経っていた。


詩ってこんなに大変だっけ。。


最後の気になるフレーズが少し頭に残ったまま、少し大きめの一呼吸を置いて次の詩に手を伸ばす。



………..


あれ、、今詩を読んでたのか。


読み終わったのは、 「わたしたちの猫」(詩の一つ)  だった。


自分だけが知ってる、大好きな場所への最短ルートを、しなやかに駆けていくみたいに。


言葉がスッと心の中に入ってきたのだ。


そのあとの2つの詩も読み終わった後、読み進めようとした手をふと止めた。

大事に大事に読みたいと思ったからだ。


言葉が今の自分にしっかり入っていくように。



言葉って不思議だ。


人に伝えようとするときは、真っ直ぐな言葉の方が伝わりやすいのに。


自分の感情を言い当ててくる言葉はいつも真っ直ぐとは限らない。


自分の中にあるたくさんの言葉でたくさん理由づけされたり、

詩の中に溢れてる、一見意味を含みそうにない比喩が運んできたりする。


なぜか校庭でサッカーボールを蹴っているときに不意に理解するような不思議な感覚。


今見ている景色、匂い、シメっ気。

全部含めて襲ってくる。一本一際鮮やかに輝くのに、周りはたくさんの言葉に囲まれて。


詩って不思議だ。

日常に見るもの触れるもの全てで感情を表現する。

誰かに何かを伝えようとするものかのような格好をして、

大概は真っ直ぐじゃなくて、伝わって呼び起こされるのはいつも

自分の中の感情と取り巻く言葉。


今まで名前がつかなかった感情が、全然関係ないような言葉を引き出しにして滲み出てくる。


感情の辞書のような何かか?

いや、もっとおしゃれだと思う。どんな形であれ輝いて残っていく感情を言葉に隠しているもの。


その引き出しは、自分が実際にそれを景色、匂い、音と一緒に感じないと開かない。

だから、今はわからない言葉にもずっと期待してられる。


いつかまた、自分の中のたくさんの言葉を引き連れて出てきてくれるように

大事に大事にしまっておく。


寄り添うってこと


そういえば、言うの忘れていたけれど。

このエッセイっぽい何かで言いたかったことは。

幾田りらさんの楽曲がいかに素晴らしいかということだ。(???????)



You're my No.1!!

最近ふと、りらさんの楽曲に感じていたことに名前がついたような気がしたので書いてみる。


楽曲を聴いていて、呼び起こされる感情が

先ほど書いたような詩から出てくるものと似ているということ。


YOASOBIのストーリーテリングで、鮮やかで豊かな情景描写とも、ロックバンドの真っ直ぐな言葉とも少し違う。

聴くたびに、突然自分の中の言葉から感情から景色や匂いまで連れてくるような。そんな感じがするのだ。ときに自分の知らないところまで。


今までは、自分が楽曲に追いついたとかいう言葉を使っていたけれど。

そこまででとどまらないで、


今後またこの感情を大事にしまっておいて


また別の段階の準備が整ったら、さらに深く

かつ、さらに輝きを増すような想いに触れられるような期待までしてしまう。


今まで感じてきた全部、嫌な思いも、意味ないと思っていたあの行為さえ。いらない記憶経験なんてひとつたりとも無いとでもいうような。そんな期待。


りらさんがよく使う、”寄り添う”という言葉。


意外に難しい。誰かの気持ちはその人にならないと完全には理解できない。一方的に全て捧げてもダメ。感情を言い当ててもダメ。それは全て外側のような気がする。今抱えている感情は、気づいていないだけで自分の想像以上にたくさんの言葉と感情に上乗せされて出てきている。


だから、それごと全部。大事な部分はしっかり灯をつけて。

ふとした瞬間にまた新しい想いと一緒にしまっておけるようにお手伝いするような。それが僕が感じた”寄りそう”ってこと。

それもあって、最近読み返した『わたしたちの猫』の最初に収録されている「空の合図」の最後のフレーズ。



雨が降ったらむかえにいくよ 傘は君に持ってもらおう
わたしたちの猫 〜空の合図〜

がずっと心に刺さっている。

昔の曲も詩的な表現がたくさん散りばめられていて大好きだが、今は真っ直ぐな歌詞も増えてきた。

でもそこに歌い方で詩的な情感を乗せてさらに進化している気がする。

だから、まだ開いていない自分だけの引き出しに期待して。


今日も新曲を待ちわびている。





ここまで読んでくださりありがとうございました!

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