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絵を描きたいと思った

久しぶりに「絵を描きたい」という衝動に駆られた。このような言い方をすると「ふだんは絵を描く欲求がないのか?」と誤解されてしまうかもしれないが、そんなことはない。絵を描きたい欲求はだいたいいつも抱えている。では初めに述べた衝動とはどう違うのかというと、ありふれた言葉で恐縮だが、「突然インスピレーションが舞い降りた」という点だ。ふだんは手を動かすために・必要に応じて・孤独になるために絵を描いている。だが、久しぶりに「こういう絵を今、描きたい」と感じた。
YouTubeでBGM集を見つけた。いつもならスルーしてしまう類の動画だった。しかし、そのタイトルに惹かれた。『すべての季節が遺書だった。』。言葉の手で喉を掴まれた気分だった。
6曲の音楽からなるBGM集だった。どれも少ない楽器で奏でられている。だからこそなのか、細く尖ったもので胸を突き刺されたようにも思えた。気づけば机に向かい、ペイントソフトを開いていた。

どうやら動画のタイトルは韓国の詩人の作品の一部を抜粋したものらしい。ということは、韓国語を日本語に翻訳した人がいるわけであり、その人は自身の感性で「すべての季節が遺書だった」と書いたのだ。作者の感性で作られたものを翻訳者の感性でまた誰かに伝える。そうした作品の橋渡しが、とても尊いことのように感じた。無性に原作に触れたくなったので、詩集を注文した。韓国語はもちろん読めない。わからない。わからないなりに、わかっていこうと思う。

詩集を買ったのはこれが人生初だ。まさか自分が詩を求めることになるとは想像していなかった。今も少し自分自身に戸惑っている。
こんなふうに、ちょっとずつ、自分の内側を肥やしていきたいなと思う。そうしたら、描きたいものが今以上に増えるのではないか、と。

おわり。

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