雑記

どこかに何かしらの形で何らかの言葉を残しておかないと思考力の低下が止められそうにないため、このようにざっくばらんに思いついたことを書いてみようと思う。

最近のことを振り返ってみたのだが、いのまたむつみさんの訃報、これは本当に悲しかった。10代でテイルズオブシリーズにハマり、こそこそファンアートも描いていた。憧れだった。というか、今も憧れ。いのまたさんは「笑わなくても可愛い女の子はいる」「風で髪がなびいている女の子は可愛い」等、今の創作活動の根本にある感情に直結しているイラストレーターだ。もうあの方が絵を描かれることはないんだと思うと、とてつもない虚無感に襲われる。このぽっかり空いた胸の穴を埋める存在はないので、これからはすきま風の吹く空洞とうまく付き合っていかなければならない。願わくばもう一度いのまたさんのテイルズオブシリーズが見たかった。本当に見たかった。哀悼と尊敬の意を深くこめて。

女の子をテーマにした創作活動の根本を語っておきながら、最近は男性の絵を描いている。仕事の幅を広げたい。理由はそれくらい単純なものだ。仕事といっても元々趣味の延長線上で成り立っている活動なので、ただ「描けるものを増やしたい」と言い換えたほうが正しいかもしれない。本当は年齢がもうちょっと上の男性も描いて見せたいのだが、それだとXやInstagramを見ている方を戸惑わせてしまう恐れがあり、なかなか公開する勇気を持てずにいる。だが、こまけぇこたぁいいんだよ、と突如ハイテンションになった瞬間に投稿ボタンを押してしまうとは思う。

男性を描きたい欲求が増したのはときメモGSの影響も少なからずある。ゲームの感想については別記事で語ったとおりだ。最近は不二山嵐にきゅんきゅんしている。ときメモGSの実況動画も日ごろから視聴しているのだが、ふと、かつて恋愛リアリティショーを見ながらどぎまぎしていたことを思い出した。男の子相手にきゃいきゃい騒ぐゲーム実況者は近ごろの心の栄養のひとつになってしまっている。はたして絵描きのメンタルの栄養がこれでいいのだろうか。いや、いい。

ときメモGSといえば、今回リマスターとして発売された1~3の「親友モード」、ならびに3の「三角関係モード」の雰囲気はファイアーエムブレム風花雪月に通ずるものがあると感じた。風花雪月のプレイ次第では生徒同士、あるいは友人・血縁関係者同士を戦わせることもあるのだが、その際の殺伐とした会話の空気がまさにときメモGSのそれだ。いや、殺伐というか、よかれと思ってゲームを進めていたプレイヤーの心をしっかり抉ってくるあたりが。とはいえ抉られることに快感をおぼえるプレイヤーもいるのが双方のゲームの恐ろしいところだ。抉られたところで得られるものは快感と罪悪感と焦燥感と背徳感と絶望感と虚無感くらいなのだが。いや、それらが一気に押し寄せてくるからいいのか。そういうのが一気に来ること、そうそうないし。そうそうあったら困るが。できればそうそうないほうでお願いしたいが。

そういえば、風花雪月無双のマイクランは生存ルートはないのだろうか。風花雪月とは違い、紋章(特別な力)がなくとも王国軍の兵士として優れた采配をしてみせ、絶縁した実家ともなんとなくうまくやっていけそうな雰囲気を醸し出していたのに。窮地に陥っているところをプレイヤーとして急いで救援しようと戦場を駆け回ったのに。悲しい。しかしそういう末路も含め「マイクランらしい」だとか考えてしまうから嫌だ。これも風花雪月に鍛えられたせい。私は絶対にこの感情を心の栄養にはしない。絶対にしない。

ぜんぜん関係ない話なのだが、「最近の子はSCPへの理解度が高い」みたいな、ふわっとしたネットの呟きを見た。私はネットでSCPを調べた瞬間「文字がいっぱいだなあ」という薄っぺらい感情が真っ先に浮かぶくらい、一切それらに触れてこなかった。最もそれっぽい・近しいもので言うと岸辺露伴は動かないシリーズだと思う。最も近しいものでそれなのだから、私がいかにSCPから遠い人生を送ってきたかは誰が聞いても明白だ。しかしどっぷりハマったらおもしろいんだろうな、と、ゆるい羨望のまなざしでSCPや異変感知系ゲームの動画を見ている。あれらをくまなく収容できる容量のある脳みそがほしい。
(ところで8番出口などの異変感知系ゲームの源流はどこにあるのだろうか。いつか知りたい)

脳みその容量が少ないなと感じた点はほかにもある。デジタルイラスト制作に欠かせない片手デバイスだ。私も二つ所持しており、それぞれPC用とiPad用でキーを振り分けているのだが、振り分けた次の日にはどのキーがどの機能だかわけがわからなくなっていた。せめてもの思いでブラシサイズの変更キーだけはおぼえている。かろうじて。かろうじてその程度。だがその程度でも絵は描けているので、私の絵はコスパがいいのだと思う。

コスパといえば、最近私の耳にもようやく「タイパ」なる言葉が届くようになった。私にとっては、動画を倍速で観る以外に「タイパ」が当てはまる行動がないのがちょっと虚しい。しかしながら自分は「タイパ」の悪い生活を送っているなあとも気づいた。さっきの虚しさは解消したが、今度はべつの虚しさが襲ってきた。この件についてはあまり深く考えないようにしようと思う(でも新しい言葉を使うことができたのはちょっと嬉しかった。我ながらずいぶんコスパのいい性格だ)(コスパというか都合というか)。

今回はこのようにとっ散らかった思考をどこかに書きとめておきたくて記事をこしらえた。「急行さんも好きの因数分解をしてみたら」と言われたのもきっかけのひとつだ。因数分解、苦手だったなあと思いながらここまで書いた。しかし私の場合、好きというより虚無感の因数分解になっている気がする。いいんだろうか。まあいいか。

おわり。

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