『サピエンス全史』VS「類人猿全史」

さすがに中田さんみたいに三日ではムリだったけど大変興味深く上下巻とも読破した『サピエンス全史』、この本についてはこれまでも何度か言及してきた。

この本については吉野の宿でも話題に出てた。他には「なぜ人類は戦争をするのか」とかも。

ちなみにそれに関する私の以前からの主張は、
「過去一万年ほどの間に起きた戦争は圧倒的に男たちによって起こされたものであり、それは進化論でいうところの雄間闘争に他ならない」
というもので、例えばもっとも人類に近い類人猿でいうと、ゴリラはハーレム型の「強いオスによるメスの総取り」で、チンパンジーはもう少し緩やかなオスの序列のもとに集団が形成され、ボノボはフリーセックス型の平和な集団を形成し、テナガザルは一雄一雌という一夫一婦制で…というふうに種族ごとにけっこう異なっている↓。

人間の場合にはこれらのすべてが歴史上に現れていて、今現在もゴリラ型、チンパンジー型、ボノボ型、テナガザル型がそれぞれせめぎあっているようなところがある。
そこに人類の様々な悲喜劇が繰り広げられているのではないか。

サピエンス全史は「ホモサピエンスすなわち現生人類」の通史だけれども、それを「進化論に基づく類人猿史」に特化して俯瞰して見れば↓、人類の引き起こす戦争という殺戮行為やそれと婚姻形態とのかかわりまで見えてくるんじゃないかな…というあたりが、私が『サピエンス全史』以前から進化論を持ち出して繰り返し語ってきたことなのだった。

そのような「類人猿全史」を俯瞰することによって、ようやく「人類は今後どのような未来を目指すのがいいのか」も理解することができるようになるのではないか。
ハラリ氏が『サピエンス全史』の最後でそうしていたように。

もし戦争が「雄間闘争と呼ばれる力の強いオスの総取り合戦」という生物学的理由に起因するのなら、「途轍もない環境改変能力(これが現生人類が現生人類たる所以)」を持った人類としては「そっちじゃない方」に行くようにちょちょっと介入すればよいだけなのだが、その介入に異を唱える抵抗勢力はおそらく「雄間闘争という本能がもたらす幻想を捨てられないヒト科のオス」が大多数になると思われる。
ヒト科のメスの端くれである私としては、テナガザル型の「一雄一雌(一夫一婦)」でもボノボ型の「love and peace」なフリーほにゃららでもOKなんだけど、ゾウアザラシみたいなハーレム型だけは固く固くお断りしたい(笑)。

-------------------------------

【追記】

この記事は前回の記事↓の補足というか、もうちょっと科学的かつ生物学的に「ヒト科のオスにおける本能という阿頼耶識のもたらす無明=雄間闘争説」について説明を試みたものですよー。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?