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フラクタルとは「山川草木悉有仏性」である

昨日の覚え書き↑の続き。今日もやっぱり覚え書き程度。

↓のマガジンでずっと続けている考察は、虚数やフラクタルやホログラムや量子の非局所相関や生物進化といった現代科学と華厳経や般若心経や唯識などにみられる仏教諸概念との比較の試みです。

とはいうものの仏教用語も科学用語もなかなか理解し難いので、多くの方々が誤解されてしまっているのが現状です。

特に「非局所相関」↓は実験によって確認されましたが、まだ理論的な解明はなされていません。

↑より引用)
量子力学では2つ以上の粒子が相互作用できないほど十分に遠く離れても、一方の粒子に対するある物理量の測定が他方の粒子に対する測定結果に影響を及ぼすことがある。これを量子力学の「非局所相関」という。

突然ですが、ウィトゲンシュタインの「論理記号」は言語でしょ、ということです。
言語の枠内で、つまり言語という土俵の上で戦えば、当然ながら土俵の外は語れない。語れば「負け」ですから。
けれど実際には土俵の内側よりも外のほうが圧倒的に、というか無限に広いわけで、にもかかわらずそこで「土俵の外に出たら負け」「土俵の外は語れない」なんて言ってるような「けったいさ」がウィトゲンシュタインにはあります。
なら、たとえば今のところ理論を言語化できていない、論理記号の枠外にある、つまり語りえない「非局所相関」とかについては沈黙せねばならないんですか、とウィトゲンシュタインさんについ聞いてみたくなってしまうんですね。

ウィトゲンシュタインさんなら「沈黙せねばならない」といいそうなところを仏教哲学では昔から散々っぱら語り続けてきましたが、それが華厳経であり般若心経であり唯識であり、キーワードとしては「重重無尽のインドラ網」「多即一、一即多」「空(全ては相互依存性)」「阿頼耶識」などになるんじゃないでしょうか、というお話をしています。
そしてそれら仏教哲学のキーワードを現代科学の用語に置き換えると、「フラクタル」「ホログラム」「相対性理論」「非局所相関」なんかになりますよ、ということです。

「阿頼耶識」については生命科学で、昨日の覚え書きは「阿頼耶識とはフラクタル現象である」としましたが、これを仏教用語にするなら「山川草木悉有仏性」がいちばんぴったりきそうです。
これなら「人類」にも「生物」にも限定されず、雲や山や河川や宇宙構造でさえも「フラクタル」つまり「阿頼耶識」であり「生命現象」であることが(なんとなく)理解できるのではないでしょうか。
昨日は「阿頼耶識=生命現象=フラクタル」と定義付けましたが、「人間の生体内で起きている神経系の現象である阿頼耶識も、雲や山や樹木や川や宇宙構造と同じフラクタル現象である」のなら、人も山川草木も…というより「そもそも宇宙全体がフラクタル現象」であり、生命現象とはフラクタル現象のことなので、ならば「宇宙全体が阿頼耶識」となり、「山川草木悉有阿頼耶識」「山川草木悉皆フラクタル」「山川草木悉皆生命現象」と、「山川草木悉…」のあとに続く言葉の置き換えが可能となります。

…というようなことを昨日の覚え書きでは言いたかったのではないかと今日もまた覚え書いてみました。

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