『中論の限界と法界縁起と無分別智』に関する連ツイコピペ。 星月宙 2019年8月6日 08:26 竜樹中論についてですが、https://t.co/0Q4r23I5Jb— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 ここで中野氏は「宇宙開闢以来物理法則は厳然として存在する」とのお立場で、私もそれに依存はないんですが、「父母未生以前の本来の面目」ということで「開闢以前の宇宙」や「誕生以前の自我」を問われると弱いです。中論が???なのは私も同じです。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 「中論は相対性理論どまりで量子力学的な矛盾の解決には至っていない」というのが私の中論批判の骨子です。中観派の「空」が「短い棒というのは長い棒との比較があって初めて成立する『相互依存』的なものである」という見解は仏教界各派のほぼ統一見解であると思われますが、— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 これはまさしく物理学における「相対性理論」そのものです。しかし相対性理論では量子の奇怪な振舞いを説明することはできず、むしろそれらは「華厳経」で語られたインドラ網の例えや重々無尽、多即一でもって説明可能となります。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 物質の最小単位である量子レベルになると、遠く離れた量子AとBは「別のもの」ではなく同じもの(多即一)なので光速を超えて「同時に」振舞うわけです(インドラ網)。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 【参考資料】重々無尽の法界縁起↓https://t.co/qBG00A3ms6— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 引用)『法界縁起とは、すべての個々の事物・事象の中に一切が含まれるという形で、あらゆる存在が互いに関連し合って生起していることです(『大辞林』より)。』— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 『この言葉の意味を本当に理解するには、この世界観(=無分別智の世界観)を体験するほかありません。』↑「無分別智」で使われている「分別」という仏教用語が日本では異なった意味を帯びている(※)ため、井筒は分別の代わりに「分節」という語を用いました。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 ※たとえば「因縁をつける」の因縁など。無分別智↓が仏教哲学における最高智ですが、井筒風に言い換えると「無分節智」ということになります。https://t.co/sHqDMyIv1n— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 引用)『人間は善悪・正邪の分別なしでは生きられないが、その分別によって人間は苦悩する。そうした分別の本質が明らかになるとき、分別は分別のままにそれに固執しない智慧の世界が開かれる、それを「無分別智(分別を超えた智慧)」という。→— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 →それは分別のない世界ではなく、分別の本質を知見し、分別が障りとならなくなる世界である。』(引用終わり)— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 ダウンロード copy この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート