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進化論におけるおばあさん仮説と仏教の無明について

昔どっかの知事が性差別発言を繰り返していた頃からずーっと私は「進化論におけるおばあさん仮説」というのを説いてきたわけだが、それからかれこれ二十年近くがたち、今ではその方もすっかり厄介者のボケ老人となられたとか。
確かにご本人がおっしゃっていたとおり、
「本質的に余剰なものは、つまり存在の使命を失ったものが、生命体、しかも人間であるということだけでいろんな消費を許され、収奪を許される。特に先進国にありうるわけだ」。

さて気を取り直して(笑)、冒頭にも書いた「進化論におけるおばあさん仮説」には、最新の研究結果としてヒト以外の生物が加わっている。シャチである。

おばあさん仮説に当てはまる動物にはゾウもいて、ゾウはもともと人間並みに長寿なんだけど、ゾウにしてもシャチにしてもヒトにしても血族で集団を形成して生きていく場合には「長生きしたリーダーの経験知や子育てサポート」がその集団の生存率を高める結果、未来の世代が遺伝情報を継承していくので、「おばあさんが長寿で賢い」という遺伝情報がその反対よりも優勢となる。

ちょっと話は変わって、太極拳をやっているとアラカンの私なんて「まだまだ若い」部類に入るわけで、わたしより高齢のおばあさんたちが太極拳以外にも地域のボランティアとかでいきいきと輝いておられて、そういった女性たちのネットワークというのは男社会におけるそれとは「まったくの別モノ」です。宗教団体は圧倒的に男たちが形成する集団なんだけど、一方でシャーマンとか巫女とか魔女とかは圧倒的に女性が多くて、男たちが形成するヒエラルキー構造としての宗教集団とはその形態を異にしているのとよくにた感じ。
んで、どっかの元知事みたいなミソジニーな男たちに魔女裁判なんかで弾圧される(苦笑)。

話を元に戻して、シャチ、ゾウ、ヒトを含め、生物はみな「遺伝子の生き残り」をかけて戦っているわけだが、そのための戦略がオスとメスとでは異なっており、当然ながらヒトにもその「遺伝子の生き残り本能」が阿頼耶識に「無明として」存在しているため、オスとメスとではその本能の命ずるままに異なった戦略に基づいて振る舞う結果、オスは宗教的な集団においてもヒエラルキー構造を形成したがり、メスは血族集団のなかで閉経後も長生きしてその経験知で子孫の世話をして遺伝子の生き残りをはかる。

で、わざわざカッコつき太字にしたようにそれは「無明」のなせるわざなので、もしニンゲン様、あるいはニンゲン様のオトコ様が他の生き物とは違う何かもっと優れたものであると自ら主張するのなら、「本能という無明」がもたらす阿頼耶識の暴流なんかに盲目的に突き動かされるのではなく、そのことに気づいておれ、もっと意識的であれ、それが「さとり」というものなんじゃないのかな、と言いたいのだ。

そういう観点から見れば、件の元知事なんて本能の暴流に流されっぱなしのニンゲン様以前、つまりチンパンジーなみの哀れで愚かな、それでいながら傍迷惑なジジイでしかないことになるのである。

困ったことに、戦争やら魔女狩りやら始めるのは圧倒的にそういうはた迷惑なオッサンばかりなのだが、そのことに自覚的であれ、意識しておれ。そしたら本能の暴流もやがて制御することができるようになるんじゃないかな…と仏教のおしえでは言っている(んじゃないかな)。(笑)。


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