『私が如何にして「変わらないし、変える必要もない」と思うに至ったかについての仏教哲学および量子力学的考察』連ツイコピペ。 星月宙 2019年8月5日 18:37 『私が如何にして「変わらないし、変える必要もない」と思うに至ったかについての仏教哲学および量子力学的考察』連ツイ。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 「分節←分節以前(分節という語は井筒俊彦による)」とは、量子力学における「観測による確定←観測以前の確率分布」に対応している。では「観測」とは何かというと、感覚器官からの入力すなわち仏教でいう「五蘊」に該当し、これが「物理現象」であることに皆異存はないだろう。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 「眼耳鼻舌身意の感覚受容器」によって物理現象が「色声香味触法」に変換され、「分節」が起きる。その分節を主に担うのが「脳」である。このような過程を経て「分節」される以前の「あるがままの世界」は分節後の「認識された世界」とはまったく別のものとなっている。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 つまり分節後の世界は「地図」の世界であり、分節前の世界は「現地」に該当する。「地図は地図であって現地ではない」とはこのことである。しかし人間は感覚器官からの入力を脳によって変換したものしか認識することはできないため、— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 永遠に「現地=分節以前の世界」を知ることはできない。これはプラトンの「洞窟の比喩」↓ともよく似ている。https://t.co/CwYyD6LmnZ— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 量子力学における「観測者問題」とは、人間が永遠に感覚器官からの入力変換によって作り出された「地図」しか見ることができず、「現地=分節以前=確率分布」の世界を認識しえないという「限界」を意味している。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 「確率分布の世界=現地」では「すべてのことが起こっている」はずである。したがって、本来「何一つ変えることはできず、変える必要もない」のである。つまり量子力学的には「分節以前の世界=現地」は「不生不滅、不垢不浄、不増不減」ということになる。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 【参考資料】井筒俊彦の分節について↓https://t.co/kuSjf9u58h— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 3, 2019 ダウンロード copy この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート