『相対性理論において「立場」は「無化」できない、ただ量子力学的に「超える」ことができるだけである』 についての仏教哲学的、物理学的考察連ツイコピペ。 星月宙 2019年8月5日 18:57 『相対性理論において「立場」は「無化」できない、ただ量子力学的に「超える」ことができるだけである』についての仏教哲学的、物理学的考察。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 「立場=時空間におけるある立ち位置」から見ると時空は相対的なものであって絶対的なものではない、というのが特殊相対性理論。物質は時空を歪ませて重力場を形成し引力を発生させる、というのは一般相対性理論。「万有引力とはひき合う孤独の力である」by谷川俊太郎— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 すべての存在は相対的なものであってその「立場」によって時空を歪めている。すなわち、すべての存在はその「立場」を無化することはできず、時空を歪め、重力場と引力を発生させている。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 …と、ここまでが相対性理論の「科学的に正しい」見解である。だが、相対性理論では「光速を超えて相互作用する」量子もつれの不思議な振舞いを説明することができなかった。…が、これは実験によって正しいことが証明されてしまった。理論はまだない。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 「観測によって確率から確定する」という「観測者問題」にトラップされているせいである。「観測する主体=自我」などそもそも存在せず、自我が錯覚や幻想にすぎないとしたら、「観測者問題」もまた錯覚や幻想にすぎないことになる。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 つまり「無我」であり「縁起」であり「無常」ということである。「観測者がいる」というのは世俗諦に当たる。しかし量子力学では遠く離れた量子AとBは「同じものである」。これが勝義諦。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 つまり相対性理論はいまだ世俗諦の範疇で、量子論は勝義諦の範疇になる。「自我」という「時空におけるある立ち位置=立場」から事象を見る限り、すべては相対的で歪んでいるし、光速は超えられない。すべての「認識」とはそのようなものである。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 私はこんなこと↓を2013年8月につぶやいている。https://t.co/A9IJm4CZ3c— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 https://t.co/yzxMRaVKeX— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 竜樹『中論』第九章六「一切の見るはたらき等より先にある何物も存在しない。また見るはたらき等の互いに異なることによって時を異にし表される」↑これはおよそ二千年前に語られた相対性理論である。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 七「もし一切の見るはたらき等よりも先なるものが存在しないならば、どうして見るはたらき等の一つ一つよりも先なるものが存在しようか」↑「見るはたらき」とは「光速」を意味している。竜樹はアインシュタインと同じ疑問を抱いていた。— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 人間の「認識能力」では超えられない光速の壁だが、量子力学的には超えている。それは「自我=分節=観測者」がないからである。https://t.co/gvRISJVIHo— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 https://t.co/j1gyRoyKpR— kiyoda (合言葉は核なき世界) (@kiyokostar) August 5, 2019 ダウンロード copy この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? 記事をサポート