縁起とファミリーカルマ

ファミリーカルマというのは遺伝情報に似ている。
われわれは両親から受け継ぎ、その両親はそれぞれその祖父母から受け継ぎ…というふうに延々と受け継いできた遺伝子情報によって成り立っており、それを遡っていけば最終的には「この地球上に初めて誕生した生命(おそらく単細胞の原核生物)」に行き着く。

まさしく「人類はみな兄弟」どころか「全生物がみな兄弟」なはずなのだが、不完全な人間レベルの「意識」は、「わが子、わが一族、わが同胞」というふうにグラデーションや区別をつけたがる。
それ自体は「進化論的生存競争」によって説明付けられ、正当化しうる。
ただし、「これまでは」。

これまで通用していたことが、今後も永遠に有効な生き残り手段であり続ける…なんてことはまず「ない」と思っておいたほうがいい。
「すべては変化し続け、恒常不変なものなどなにひとつない」というのは仏教哲学における根本教義であるし、じっさいそれは真理だ。

もう一つ付け加えておかねばならない。
それは遺伝子情報に似たファミリーカルマが「阿頼耶識」にその源流をもつであろうということだ。
冒頭で述べた『遺伝子情報を遡っていけば最終的には「この地球上に初めて誕生した生命(おそらく単細胞の原核生物)」に行き着く』というその「行き着く先」こそが生命の根本識である「阿頼耶識」である。
原初の生命体が抱え込んだ阿頼耶識が、縁起の連鎖によって現生人類にまで連なっている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?