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月と密教(2)

↓前回の続き。

「月と密教」というタイトルにしたので、ここでは高野山でやった「月輪観」という瞑想法のお話にしますね。
私と妹が高野山の宿坊で習った月輪観の具体的な内容はこちら↓に書かれているものとほぼ同じでした。

以下に引用させていただきます。

阿字観は月輪観とセットになっている。阿字のない月輪だけの掛軸もあり、初心者は月輪観だけを行なってもよい。むしろそのほうが好ましく、月輪観に習熟したのち阿字観に進んだほうが効果的である。
簡略な方法としては、目を少し開いて月輪を見る。目を閉じて、ゆっくりと月輪を胸中に引き入れる。胸中に月輪が明瞭におさまるようになるまで、これを繰り返す。白浄の満月が自身の内で輝いていると観想して、月輪を再び掛軸に返す。これで完了。

月輪観にはこのほか広観と斂観がある。広観とは胸中に引き入れた満月輪を徐々に膨らませていくのである。最初の月の大きさは一肘ほどであるが、自分の体がすっぽりおさまるまでに大きくする。自分がおさまったままで、この月を部屋(道場)の大きさに膨らませ、やがて家を包む大きさに膨らませていき、さらに国土から地球、太陽系、銀河、宇宙の大きさまでスケールを広げていく。
人間の心に果して際限はあるのだろうか。われわれは自分の心をともすれば矮小化し、たえず目先のことに一喜一憂している。ときにはこんな方法で宇宙大の気分を味わってみるのもいいかもしれない。
斂観は広観の逆である。際限なく大きくした月をもとの大きさに戻すのである。

教わったのはほぼこの通りの内容だったんですが、特に印象に残っているのが太字にした部分です。「ミクロとマクロ、自分と宇宙が一体化し、自在に行ったり来たりする感じ」がいかにも大乗仏教的で面白かったので。
だから高島野十郎が描いたのも満月やろうそくの炎だったんだろうなと。

ところで、維摩経でも浄土三部経でも華厳経でも、その手の大乗仏典というのは「SFスペースオペラ」として読むのがいちばんワクワクできるのでおススメなんですけど、私の読み方を具体的に言うと、
「仏国土」を「無数にあるうちの一つの銀河」とみなし、そこを治める如来とは「アンドロメダ仏国土の中心にあって銀河を統べる超巨大ブラックホール体のアンドロメダ仏のことである」みたいな感じで脳内変換してます。
もちろん「仏国土と呼ばれている銀河」もまた無数にあって、たとえばそれらが「おとめ座銀河団」を形成していたり、その「おとめ座銀河団」がさらに大きな「おとめ座『超』銀河団」に内包されていたりといった具合にミクロの量子レベルから極大の宇宙サイズまで行ったり来たりできるのが「大乗仏典SFスペースオペラ読み」の醍醐味です。

さらにその先には「現代物理学読み」があります。
たとえば…
・この宇宙は混然一体とした超高密度の一点が爆発的に膨張して始まった(ビッグバン)。
・膨張するうちに宇宙はやがて晴れ渡ってきたが、その過程で物質が部分的に凝集して銀河となった。
・その銀河同士もまた凝集する傾向にあった(おとめ座銀河団)。
・その銀河団もまた大きなカタマリを形成した(おとめ座超銀河団)。
・膨張して凝集するとそこに網目構造が現れる(局所宇宙の三次元地図↓)。

・局所宇宙の三次元地図は脳内のニューラルネットワークとそっくりである↓。

・ニューラルネットワークと宇宙の三次元地図にはその規模に「27桁以上もの違い」があるらしいが、これはまさしく「ミクロからマクロ」「胸中の月から宇宙サイズの月輪へ」である。
・このようなミクロとマクロの相似は「フラクタル構造(=自己相似形の無限連鎖で、サイズとスケールを変えて無限に現れる)」といえる。
・同時にこれは華厳経にある「一即多、多即一」「重重無尽」のインドラ網の世界であり、これを科学的に言えば「ホログラフィック」ということになる。
・つまりホログラフィックな世界が成立しうるのは量子力学における「量子の無記名性」つまり量子が「一即多、多即一」であるがゆえである。

…みたいな感じです。
だから高野山の宿坊で体験した月輪観がたいへん興味深かったのでした。

以上、「月と密教」のお話でした。


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