ラマルクの亡霊の甦り

ダーウィンの進化論が勝利したことで一旦は葬り去られたラマルクの「獲得形質の遺伝」だが、遺伝子研究の進展によって奇妙な復活を遂げた。
エピジェネティクス」である。
これは遺伝子の変異ではなく、遺伝子スイッチのオンオフに関係している。
さらに、それを担っているのはこれまで「ジャンク」DNAと呼ばれ不用品扱いされていた領域であることまでわかってきた。

これが「ファミリーカルマ」説の根拠となる。
つまり「ファミリーカルマ」を生物学的に言い換えると「エピジェネティクス」になる、ということ。
もちろんファミリーカルマの継承には虚数世界も深くかかわっているので、「それだけ」でおさまるものではないけど。

「虚部と実部を合わせた複素数世界」については、古来より中国では「太極」や「混沌」、仏教だと「勝義諦と世俗諦」、プロティノスだと「一者」およびそこからの流出、スピノザでは「永遠の相」などといった表現で言い表されてきた。

だが虚数世界は人間には知覚できない(とされている)、知覚を超えた領域なので、「観測」もできず、したがって「科学的に証明」されることもない。けど知覚や観測ができないからといって「存在しない」わけではない。
それを「存在しない」と言ってしまえば、
「動いているのは天だから、地球は世界の中心にあって不動である」
と思い込んでいた中世人と変わりはない。

ダーウィンの進化論は「実部」においては、つまり世俗諦でいえば正しい。
しかし勝義諦では必ずしも正解ではない。
私は進化論をそのようなものであると今では考えるようになった。

見えないけれどもあるんだよ、見えないものでもあるんだよ。

【ちょっと追記】

↑上記サイトより引用)
幸福の種類によって免疫細胞の遺伝子スイッチが変化するのはにわかに信じがたいが、コール博士らが研究で得た結果とはそういうものだ。物欲を満たすことや、おいしいものを食べるという行為で得られる短期で浅いHedonicな幸福では、免疫細胞が活性化するどころか孤独感を感じているのと同じようなエピゲノムのパターンが見られた。逆に社会に貢献することで人生に意味を見出すような、深い満足感を伴うEudaenomicな幸福感では、炎症反応に関連する遺伝子が抑えられ、抗ウイルス反応に関連する遺伝子はより活性化されていた。
引用つづき)
深い孤独感や幸福感でみられたように、多大なる努力とはエピジェネティクスな変化を促し、それは次世代に遺伝するのだろうか。人間は努力することにより、突然変異よりも高い確率で、“進化”できるのだろうか。
引用つづき、太字は私)
ふたりの親から受け継いだ遺伝子は、あなたがどのように生きるかによって、環境や経験が装飾され2つのらせんに刻印される。いずれにせよ、個人が人生を生き抜いたあと、時間を止めたDNAは、この世に存在したどのDNAとも似つかない、世界で唯一のあなたの歴史が正確に刻まれた、分子生物史といえるのではないだろうか。

上記サイトに書かれているとおり、負のファミリーカルマはエピジェネティックに子孫に受け継がれるが、その受け継がれた負のカルマも子孫自身の努力によって変えることができる(かもしれない)という、なんとも希望の持てる内容だったので追記した。

…というか、ファミリーカルマについて私が言いたかったことはまさしくこの部分だったので。

これは例えば、
ある負のファミリーカルマをご先祖様からあなたが受け継いでいたとする。だがその負のカルマの内容について正しく理解し、その解消に向けて行動すれば、あなた自身によってエピジェネティックなスイッチのオンオフを切り替えることも可能である…ということを(科学的に)意味している。

だとしたら、子孫に負のカルマを相続させぬよう深いレベルでの幸福感や満足感の得られる生き方をし、生きている間に受け継いだ負のカルマのスイッチをオンからオフに切り替えておくことが、「本当の意味でのより良き人生」だといえるのではないか。

これは八正道だな。いや、マジで。

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