糖質制限最大の障壁となる「人様からの頂き物」をめぐる考察

糖質制限を始めるとその道の先々で様々な障害物にぶち当たるが、中でも最多なのが「人様からの頂き物」ということになる。
仕事関係のお中元や歳暮、友人や親族からのプレゼント、購入した商品についてくるおまけなどなど、とにかく贈り手はこちらの深ーい事情などおかまいなしに糖質制限品をしこたま送り付けてくる。
ビールはダメですよ、うどんにそうめんにお菓子…それ、いちばんの危険物ですから。ついでに果物もダメです。加工度の高いハムもいりません。正月の餅とかも絶対にダメ。
…つうか、そもそもうちに勝手にモノを送り付けるな。
これ、「まんじゅうこわい」じゃないからね、マジな話。

中元とか歳暮に代表されるような「贈与儀礼」は古くからの「しきたり」とはいえ、「古い」からといって「正しい」わけではない…このことにはかなり前から気づいていた。
モースの『贈与論』(1925)というのは社会学関係の古典的名著なんだけど、でも人と人との関係を「贈与」だけで考えると何かが足りないというかもやもやしたものが残り続ける部分があって、近年それにすきっとした答えを与えてくれたのがグレーバーの『負債論』(2011)。

つまり、「贈与」と「負債」はコインの裏表であって両者を切り離して考えることはできないはずんだけど、今までの社会学ではそれを「贈与」の面だけで語ろうとしてきたからモヤモヤし続けていたのだ。
たとえばアルコールが飲めない体質なのに中元でビールを贈られたほうは、たとえその贈られたビールを自分で飲まずとも「贈与」を「負債」と感じてしまうわけだが、その「負債」とは暗に「うちがこの『贈与』をしたんだから、お宅は何らかの形でその『負債』を返済してくださいよ」というプレッシャーのことであって、その「暗示された返済」とは具体的にいうと「贈られたほうは仕事の便宜をはかる」というカタチを期待されている(たぶん)。自分ではビールを飲んでないのに。

ここら辺の「贈与の押しつけがましさ」が以前からものすごく嫌だった。
そこに「糖質制限」というハードな規制がかかったことによって、よけいに「人の健康を害してしまうような『毒物』を送りつけることで負債を負わせる道義的悪質さ」が目につくようになってしまったということだろう。
つまりこれは「アルコール中毒者や薬物中毒者に酒やクスリを見せること」に等しい。
だから最近私は「人さまからの頂き物」が家の中に持ち込まれるたびに怒りまくっているのである。
実際、人類全体が「糖中毒」にさせられてしまっている。
そして中毒患者が中毒患者に中毒物質を送りつけているんだから、悪循環はいつまでたっても終わらない。「本当にやめよう」と思う日まで。

noteにもいくつか良記事があったので掲載。

もちろんnote以外にも。これ↓は松岡正剛さん。

なんと、「贈与とそれに伴う負債」問題は社会学、人類学、経済学、倫理学や心理学にまでまたがる非常に広範な社会問題なのだった。

心して聞いてほしい。
人にモノを送ろうとする人はとことん「贈られる側の事情」に留意すべきである。それができないなら「人にモノを贈る」こと自体をやめておいたほうがいい。
くれぐれも糖尿人にうどんやそうめんやケーキなどを送りつけることは絶対にしないように。
そんなことをしたら後々まで糖尿人から深く恨まれることになる。

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