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「デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)」と瞑想

(邦訳)『なぜ今、仏教なのか――瞑想・マインドフルネス・悟りの科学』 魚川祐司訳 早川書房(2018/07)
(原著) Why Buddhism is True: The Science and Philosophy of Meditation and Enlightenment.2017

↑という本の中に「デフォルト・モード・ネットワーク」という心理学用語が瞑想とのかかわりで出てきます。

この本を書いた原著者のロバート・ライトは、進化心理学、歴史、宗教、ゲーム理論などを専門とするジャーナリストであり科学作家です↓。

この方はTEDでも大変興味深い講演をされてますね↓。

上で「進化心理学」のところをわざわざ太字にしたのは、そもそも『なぜ今、仏教なのか』が「進化論から見た人間の心理や脳機能と瞑想」を切り口にして書かれているものだからです。
「デフォルト・モード・ネットワーク」というのも心理学の用語で、「自動車におけるアイドリングのように、何もしていない時の脳の働き」を意味しており、

しかも脳が「デフォルト・モード」にあるときは活発な活動状態にある時よりも20倍ものエネルギーを消費しているんだそうです↓。

まさしく「小人閑居して不善をなす」ですね。「下手の考え休むに似たり」ともいえそうです。

この「デフォルト・モード」下で起きる脳活動、これを別名「妄想モード」と私は呼んでいるんですが、瞑想トレーニングを続けているとそのうち自分で「あ、今妄想モードに入っていたな」と気づくことができるようになります。
この「メタ認知ができるようになること」が瞑想の目的の第一歩で、これは大きな一歩ではあるものの、わりと最初の一歩です。

次はその妄想を観察します。
その際にたとえば「こんなくだらない妄想ばかりして、なんと私はダメな人間なんだろう」とジャッジしてはいけません。なんで「ジャッジしないこと」が重要かというと、「ジャッジそのものもまた妄想だから」なんですね。
そんな感じでさらに耳に聞こえる音や身体感覚なんかを「観察」し続けていくと、やがて「五蘊皆空」、つまり「感覚器官への入力とその脳内での変換(意識)が実体のない錯覚=妄想であること」がわかってきます(ここの部分をロバート・ライト氏は進化心理学的に説明)。

で、「感覚器官への入力とその脳内での変換(意識)が実体のない錯覚=妄想であること=五蘊皆空」がわかると、さらに「それを実感している主体である自我もまた虚構(妄想)=無我にすぎないこと」にいずれ気づいてしまうという…

これを「自我とは進化の過程で獲得してきたある性質であり、その性質が必ずしも今現在の環境に適応しているとは限らないし、適応していたとしてもそれで人が幸せになるとも限らない」というふうに進化心理学的に説明することもできます。

そのように自我というものを「メタ認知」してやれば、荒れ狂う感情とわき起こる妄想の暴流から脱出してやがて「静かな境地=涅槃寂静」に至ることができますよ、というのがブッダの語ったことだったのでした。

これを現代心理学っぽく言い換えるなら、「デフォルト・モード・ネットワーク状態の妄想でエネルギーをムダに大量消費するのをやめれば、静かで落ち着いた非常によい精神状態になれますよ」ということでしょうか。
そのさい「車のアイドリング状態で空ぶかししながら必死にハンドルを握っている」のが「自我」なんですが、その運転席に座っている自我君に「キミ、今する必要のないことをやってムダにエネルギーを消耗してるけど、現実をよう見てみ、クルマ動いてないんやからそんなシャカリキになる必要はまったくないんやで」とメタ認知が言ってやれば、「なに、お呼びでない、ほなさいなら」とアクセルとハンドルから手と足を離して、ついでに目も瞑ってシートをリクライニングにしたりしてリラックスモードに入れるわけですね。

これが「進化論的にみた瞑想の心理学的効用(のひとつ)」なのでした。

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