見出し画像

ももたろう。

■「京タロラジヲ、十一」の補足記事■


京タロラジヲ十一にて、カメラ側に向いていたカードが「勾玉の彦」(桃太郎)であった。編集している時は、特になにも思わなかったので、そのままそれについては放置していたが笑、あの桃太郎は…と考えだすと氣になってくる。

言わずと知れた昔話、国を代表するお伽話と言ってもいい、日本人なら脳内標準装備の物語、であろう。
京都タロットのカード解説には、「夢と理想に溢れたロマンチスト。情熱的で献身的な活動。熱狂的。」とある。

今回、勾玉の彦に感じたことは、「当たり前」ということ…

桃太郎の話を誰かに訊ねずとも、誰もが知っている。「桃太郎みたい。」と言えば、「あゝほんとだね。」と全てが通じる。
“桃太郎”自体の説明は不要で、確立された共通認識である。
この「当たり前」という認識、疑う必要のなかった常識に刃を入れる時がやってきている…ということなのではないかと思っている。

「夢と理想に溢れたロマンチスト」は、不実な夢追いとして、バカにされてきた、鼻であしらわれてきた傾向が昭和の時代はあって、実現出来るのはほんの一握りの選ばれた人だけだ、とはじめから諦めさせるような風潮ではなかったか?

ところがどうだい、2020になってからは特に…バカになって夢に溢れてロマンを追っていい、いや追うべき時代が来た。
バカ万歳。
あんたはあんたにしか出来ない。
そんな開き直りにも似た、常識の崩壊(めでたいこと)。
鬼を退治してもいいし、話し合って仲良くなってもいいじゃん的な。
結末はあんたの自由。
ステレオタイプも共通シナリオも何も無い、どんな“桃太郎”??て訊かなきゃわかんない世界が来る。


…なぜか途中から語り口調 笑。


"京タロ狂" 奈みこの京都タロット偏愛変態記録に共鳴ありがとうございます🎴❤️この愛をもってさらに変態化していきます✨🙌✨