一人が怖くなくなった。

一年前まで一人でいるのが怖かった。

一人が怖くなくなったのは、大学生になってから

コロナという環境の要因でもあるし、友達の影響でもあるし、自身の努力でもあると思う。

私が感じていた一人が怖いという感情は、1人でいるという自分を見られるのが怖いという感情だ。自分が他者から認められないのが怖いという感情でもある。友達がいない自分は価値がない。そんな思い込みにずっと縛られてきた。

一人が怖いという気持ちを抱いたのは、小学校1年生の頃だ。

入学を期に祖父母の家の近くへ引っ越した。
新しい環境、知らない顔、一からのスタートだった。

そんな中、登校班で同じ子とクラスが一緒になった。全くの新しい環境、しかもクラスメイトには幼稚園からの友達がいる。どこの幼稚園いってたの?と聞かれることがなんだか怖く感じてそれを隠した。

同じ登校班の友達と遊ぶときも必死だった。
今思えばおかしいのだが、放課後お家で出されたお菓子を友達と同じスピード、器用に同じ順番で食べていた。

何でも一緒じゃないと仲間はずれにされてしまう。仲間はずれにされたくない。そんな思いからの行動なのだけど、遊ぶときはいつも2対1だった。楽しくなかったけれども、一人になるよりかよかった。

高校3年生では、ぼっちを貫いた。
少人数の部活、かつ生徒会に入った。そのため土日は部活、休み時間は生徒会室での昼食という生活スタイルを続けていた。

高校は普通科と特進科と専門科の3学科。
私は普通科で普通科の友達は3人だった。
部活と生徒会は専門科と特進科の集まりだったため、普通科に友達はあまりいなかった。

最終学年
普通科唯一の友達、誰一人として同じクラスにならなかった。
クラスメイトと話すことを試みたものの、話についていけず、自ら脱落した。

ぼっちの環境は受験期には最強だったものの
遠足や体育の時間は地獄だった。

友達がいないという事が恥ずかしかった。

そんな私だが大学生では友達に恵まれた。
大学の友達とはよい距離感でいられた。
大学にはクラスがない。
周りの目線もない。
一人でいても普通だからだ。

それともう一つ、ありのままの自分を見せても受け入れてくれる人がいるからだ。
素直が大事を教えてくれたのも大学の友達だ。

友達が多い少ないは何の評価にもならない。
信頼してくれる人がいることの幸せにありがとうを言いたい。












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