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ちゃんと悲しんで ちゃんと喜んで ちゃんと怒る って結構むずかしい


「好きなコトはなんですか?」


かれこれ20年ほど前の就職活動のとき
困った質問



好きなコト…特にないです‥‥


ハイすいません・・・・


それまで確かに生きてきたはずなのに
一生懸命がんばったこともあったはずなのに

私には何にもない



そんな絶望にも似た気持ちになってしまったことを
思い出す


苦しい
ツライ


とういうことにさえ
うまく気づいてあげられていなかった



自分には感情なんてない
いつだって明るい元気なわたしでいなくちゃいけない


そんな呪いの囚われていたから
気づけなかったのだと

今になって思う



だれかに言えればよかった


悲しい
切ない
苦しい
ちょっと聞いて
いっしょに考えて
助けて



でもその当時のわたしは
どうしたかというと




湧き出てきた気持ちに
そーっと
きれーーに
ピッタリと蓋をして


持ち前の明るさと根性でその場を乗り切った



まるで
そうすることが正解かのように



わざわざそんな昔の気持ちを書いている理由




今は大人になって(今年40です)
恥じらいとか
プライドとか
周りの目とか
色々な不要物を手放せるようになってきた
(生きやすいこと!でも一生磨いていくもの)


ちゃんと悲しんで
ちゃんと喜んで
ちゃんと怒る


それができるようになった



でも時折顔を出すんです、これが


「もっとつらい人がいるんだから」
「それくらいひとりで乗り切れるでしょ」
「もっと頑張っている人がいるんだから」


・・・おーー厳しいこと


でもいいんだよ
信頼している場所・人に対しては
どんな自分でもいいんだよ


信頼している場所・人がなくたって
自分にだけは
どんな自分を見せてもいいんだよ



それを自分に言いたくて
書いた
(何度も言ってるんだけど、何度だって言いたい)


黒も白も、両方いいよね。って言えたらいいね。


陰と陽とか
月と太陽とか
影と光とか


どちらか一方だけでは成り立たないものは
世の中にたくさんある


どちらも大切で
どちらも重要で
どちらかが欠けてしまっては
成り立たなくなる


人間もそう


そうなんだけど
気づいたらウン十年と染み込んできた
自動反応で


マイナスな自分を批判してしまいたくなる
つまり自分の黒いくろーーい部分


自分だけじゃない
他人に対しても同じ
そしてそう思ってしまう自分にがっかりしたりする

自分のダメな部分
出来ない部分を受けれ入れて大切にする

この大切さを
「頭でわかって」も、「できる」までになるには

たぶん…

ウン十年
下手したら死ぬまでかかるのかもしれない


でもそう在りたいと願いながら
生きるのと

自分を否定しながら生きるのでは
死ぬときの満足度が全然違う(はず)



だから
わたしはきょうも
自分の感情を見つめる

ちゃんと泣いて
怒って、喜んで
したいから




あなたは
置き去りにしている
気持ち
ありますか?


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