映画館のエンドロールのときにスマホいじる問題の話

どっちでもええやんと思ってる俺ですが、まあ映画館で映画観たのが成人してからではこの前行った「累」ただ1回でしかも観客俺だけという何やっても怒られない状況(実際前の席に足掛けていい感じの体勢で見てた)だったので実際やられたことはないのでその辺を加味しつつ。

あれって「人がたくさんいるところでは他人のことも考えましょうね」というだけの話なのに、やれエンドロール最後まで見ろだとかやれエンドロール見てるやつはおかしいとかどうでもいいところで喧嘩していてうるせえ馬鹿がお前らはフードコートで子供放し飼いにしてるセンスなしスウェット上下のデブ夫婦かとか思うわけですが。

だってエンドロール見たい人がいるわけじゃないですか。同じように見たくない人がいるわけじゃないですか。じゃあお互い尊重して「あっ、私エンドロール最後まで観ていきますんで」「そうですか、私は観ませんのでお先に、ちょっと横失礼しますね」「すいませんね気を使っていただいて」「いえいえこちらこそ、最後までごゆっくり」みたいな譲り合い精神が発生してしかるべきなのになぜ喧嘩が発生するのか。

不寛容の時代なんてよく言いますけどね、そもそも不寛容になる理由は譲り合いの精神とか他人に気を使うとかそういう精神の欠如から来てるわけですよ。ちったあ我慢せいよと。電車で赤ん坊が泣くぐらい我慢せいよと。老人が歩くの遅いのぐらい我慢せいよと。そういう話なんですよ。

ただそれを勘違いして「子供は泣くのが仕事だ!」なんつって子供放し飼いにしちゃうとか「老人だから大目に見てください」みたいに思ってるのかどうか知らんけど大通りを徒歩で横断しちゃうとか、そういうことしちゃうのが出てくるんですよ。いや大目に見るのも限度あるし放し飼いにしていいとか誰も言ってねえし。

ここで「我々は皆生かし生かされているのです、慈愛の精神を」とか言えば宗教の話になるわけですが、俺はそういうのどうでもいいので話を進めます。

エンドロールの話に戻ると(進んでねえじゃん)、スマホ見るやつも席立つことに怒るやつももう少し他人のこと考えろよと。どっちも他人に迷惑かけてるし、それは考え方1つで防げることじゃん。10のうち1か2我慢すればだいたい丸く収まるんだよ。なんで10を求める結果全損案件になるんだよと。スマホは我慢! 席を立つ人も我慢! 終わり! でいいじゃん。

俺は映画館で映画観るときはエンドロールまで観たい派なので、まあ隣でスマホ見てたら気になるかもしれないなと思いますが、単にエンドロール全部見るのが好きなだけなのであんまり気にならないかもしれない。

そういえばエンドロール自体面白い映画もあるよね、闇金ウシジマくんとか。あれはエンドロール後も面白いし最後の注意も面白いのでいいですね。Superflyの歌もいいし。そういう映画もあるのでたまにはエンドロール最後まで観たりしてもいいんじゃないですか。脇役の名前確認したりとかね。

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