953【2/3】
2021年12月24日
この日のために1ヶ月間、駅前の夜を彩り続けたイルミネーションと
この日のために誰かを想い準備をしてきた人たち
街全体が浮き足立って、星を散りばめたフィルターがかかっているようにみえる。
そんなクリスマスイブが好きだった。
誕生日からおよそ1週間後にやってくるこのイベント
我が家ではケーキ月間にならないよう、クリスマスにはアイスケーキを食べる。
何度溶けても冷凍庫に入れれば次の日も、また次の日もクリスマスの楽しい気分が続くし
仕事が忙しく、一年のほとんどを出張で留守にしている父ともケーキを分け合えるし
毎日眠りにつく頃に帰ってくる母も、アイスが溶けないようにこの日ばかりは早く帰ってくるのだ。
クリスマスには、良い思い出しかなかった。
だからだろうか。
「彼」と過ごせるのはあと2日しかないはずなのに、クリスマスという条件反射で心が弾んでいた。
彼の家へ向かうバスの中
今日の出来事を思い出してだらしなく緩む頬を、マスクで必死に隠した。
退勤直前、職場の廊下ですれ違いざまに彼が
「また後でね」
と、囁くので慌てて振り返ると、
彼は一瞬だけ視線を向けて、歩みを止めずに去って行った。
あの時の彼の悪戯っぽい笑顔が忘れられず、ずっと心臓がバクバクしていたのだ。
「心を鷲掴み」とは、まさにこの事を言うのだと
妙に納得してしまった。
『次は〜 ○○〜
お降りのお客様は〜降車ボタンを…』
彼の家に行く時にしか使わなかったこの路線バスも、別に馴染みはなかったが、
これで最後かと思うとアナウンスの声にも名残惜しさを感じた。
そんな謎の寂しさを車内に置いて、彼の家へ向かう。
右手には彼が好きなショートケーキを2つ。
大きな苺が1つのっているシンプルなやつだ。
ケーキが崩れないように慎重に、だけどできるだけ速く歩いた。
1秒でも長く彼と一緒にいたかったから。
少し息を切らしながら家の前に着き、深呼吸してからチャイムを鳴らす。
肺に溜まった冷たい空気とは対照に、暖かい空気と共に玄関が開く。
「部屋あっためておいたよ」
笑顔の彼が出てきて、私の右手に視線を落とす。
「あ!もしかしてケーキ?」
頷きながら彼の好物を差し出す。
「俺、クリスマスとかあんまり興味ないんだけど、君はこういうの好きかなって思って、俺もケーキ買っちゃった。」
テーブルの上に赤いイチゴが乗った白いホイップのケーキを並べる。
大事に持ってきたから形はキレイなままだった。
「何ケーキ買ったの〜?」と、背後で彼が冷蔵庫の扉に向かって問いかけている。
「ショートケーキですよ〜好きって言ってましたよね?」
と答えると、ようやく冷蔵庫の扉を閉めた彼が
右手に白い箱、左手に緑色の瓶を持って隣に座った。
「そうそう!このシンプルなショートケーキ!
覚えててくれたんだ。ありがとう。」
ブッシュドノエルとかイチゴに甘いコーティングがされたやつとか、クリスマスらしいケーキは他にもあったけど、1番シンプルなものを選んでよかったと思った。
見たかった笑顔が見れたから。
「何ケーキ買ってきました?ショートケーキ4つになっちゃったかな。」
「いや、俺は…」
答えるよりも先に、白い箱からケーキを取り出す。
「あ。チーズケーキ…」
彼を見ると、少し恥ずかしそうに視線を落としていた。
「君が、チーズケーキ好きだって言ってたから。」
一度だけ。たしかに一度だけチーズケーキが好きだと話したことがあった。
彼はその、何気ない話を覚えてくれていたのだ。
なんだか私も恥ずかしくなって、
「うれしい」
「ありがとう」
と、短い言葉を返した。
テーブルの上にケーキが4ピース
彼の好きなショートケーキ2ピースと
私の好きなチーズケーキが2ピース
「2人で食べきれるかな」と、つぶやくと
「食べられるよ。夜は長いんだから」と、妙に頼もしい彼が隣にいた。
アイスケーキじゃないから溶ける心配をせずにゆっくり食べた。
だけどアイスケーキみたいに、保存はできなかった。
2021年12月28日
いつものように髪をひとつに結び
いつもと変わらない薄化粧
いつもと同じ鞄を持って
いつもと同じパンプスに足を通す
いつもと変わらない1日の始まりだが、
この「いつも」は今日で最後だ。
少しだけ緊張した面持ちで向かえた最終出社日
通い慣れた執務室も、親切にしてくれる同僚たちも、暗くて臭くて嫌いだったトイレも、
今日で最後だ。
最後なのだ。
挨拶回りをして身辺整理してのんびり過ごそうと思った最終出社日だったが、結局、就業時刻の10分前まで仕事をしていた。
急いでお世話になった同僚たちへ挨拶をし、席に着くと1通のメールが入っていた。
送信者には「彼」の名前が
実は前日に、2年半の感謝を伝えるメールを送っておいたのだ。
仕事仲間として、後輩としてのお礼の気持ちを書いたそのメールに返事が来たのだ。
(ここで紹介しようと思ったが、まだ物語は終わらないので”あとがき”に書くことにしよう。)
ザックリと内容を紹介すると、お疲れ様でしたという言葉と、先輩としてのアドバイス、そして、「彼」の本心がメールには綴られていた。
涙がこぼれそうになったので、急いで目を瞑った。
それでもまぶたの隙間から涙が溢れそうだったので、下を向いて誤魔化した。
終業を知らせるチャイムが鳴って、私の2年半は幕を閉じた。
年末ということもあり、少人数だが忘年会をすることになった。
ビールを3杯ほど飲んだ頃だろうか、トイレに立ったついでにスマートフォンを見ると彼からメッセージが来ていた。
『先に出てて 後から追いかける』
こういうの、何て言うんだっけ…
抜け駆け?抜け出す?
とにかくテキトーな言い訳で忘年会を早めに切り上げて外に出た。
なんと言って抜け出そうか、不自然じゃないだろうかとハラハラしたが、そんなことは冬の冷たい風がさらって行った。
駅前を通り過ぎて一本小道へ、少し歩いたら一軒しか営業していないスナック通りに出る。酒焼けしたカラオケを左耳で聞きながら、最初の角を右へ行くと…
彼との待ち合わせ場所のコンビニだ。
彼はまだ来ないだろうから店内に入って目的もなくウロウロしていた。
何かを買うつもりは無かったが、レジ横のあったか〜い飲み物コーナーが目に止まった。
忘年会の余韻とビール4杯分のアルコールを飛ばそうと思い温かいジャスミン茶を手に取る。
レジで会計を済ませ外に出ると、ちょうど彼も追いついたようだった。
何と言って抜け出してきたのか気になっていると、彼が堰を切ったように喋り出した。
「明日実家帰るから、朝早いから、って言ってきたんだけど、俺どちらかと言うと二次会まで行くタイプだし途中で抜けるの初めてだから怪しまれたかなー。変な奴だと思われたかもなー。」
真っ直ぐな性格の彼に嘘をつかせるようで罪悪感があったが、楽しんでいる様子の彼を見て少し安心した。
いつもより賑やかな夜の街を、いつもよりよく喋る彼と歩く。
今日で最後だということを忘れるためか、それとも忘れさせるためか、
どちらかは分からないが、彼が間も置かず喋るので、明日のことなんて考える暇もなかった。
彼の家に上がり、手を洗って腰を降ろそうとしたら何かが足に当たった。
ソファの下を覗くとルンバが置物のようにじっとしていた。
「今度はこんなとこで力尽きたのか。」
ポッケを温めていたジャスミン茶を取り出す。
「またそれ飲んでる。会社でもよく飲んでたよね。」
彼がキッチンから持ってきた水を飲みながら言う。
一気に飲み干して空のグラスをテーブルに置くと、彼は私を抱えて自分の膝の上に乗せた。
男の人というのは、女が思っているよりも力が強い。
「おいで」
と彼が言うので、従順な私は黙って彼の胸に体重を預けた。
“おいで”というか、ほぼ強制的に近くに寄せたじゃないか
と心の中でつっこみつつも、「おいで」と言われて甘えないわけにはいかないのが私の弱いところである。
部屋も暖まってきて少しウトウトしかけた頃、彼が力いっぱい抱きしめてきた。
彼のハグはいつも全力で、たまに本当に苦しい時があるのだが、私はそれが嫌などころか嬉しかったりするのだ。
一度、どうしてそんなに強く抱きしめるのか聞いたことがあったけど、
「どうしてだろうね、なんか苦しそうなのが可愛くて強くしちゃうんだよね。」
と、ドSっぷり満点の答えが帰ってきた。
だけど今日は私をいじめて楽しんでいるというよりも、どこにも行かないように腕の中に閉じ込めているようだった。
それはまるで子供が、大事なおもちゃを独り占めする時に見せる行動そのもので、
おもちゃのようにされるがままの私だったけど、
今日の彼をみていると「苦しそうなのが可愛い」の意味が何となくわかった気がした。
「彼」と私は恋人ではない。
だから明日になったらただの他人になるかもしれない。
半年後の約束はできないし、
1ヶ月後のデートが最後の思い出になるかもしれない。
もしかしたら、彼に触れられるのは今日で最後の可能性だってある。
もちろん、そんなのは絶対に嫌なのだけど、
彼の中で私が重荷になってしまうのはもっと嫌だった。
独占欲が無いわけじゃないし、関係性を進めたい気持ちも多少はある。
だけど私の1番の願いは『死ぬまで彼と笑い合う』ことで、それが恋人としてなのか、友達としてなのかはどうでもいいことなのだ。
「もし、これから先
他に良い人が現れたら
遠慮せずに言ってくださいね」
本心だった。
私よりも彼を幸せにできる人がいるなら、それでいい。
これ以上関係を進めなければ、今ならまだ、元に戻れると思った。
元に戻れば、彼を幸せにするのは自分ではなくなるかもしれないが、彼の笑顔を見続けることはできると思った。
だから、防衛線を引くなら今しかないのだ。
彼の顔を覗くと、私の考えを全て知っているかのように穏やかな表情をしていた。
「わかった。
君も、
良い人ができたら教えてね。」
言い出したのは自分なのに、心臓をギュッと握られたような気分だった。
私の考えに矛盾はなかった。
それなのに、頭では納得していても心がついてこれないのは、もしかしたら頭と心が矛盾しているからなのかもしれない。
「だけど…」
彼が視線を落として続ける。
「だけどそれは悲しいから、
できれば俺だけにしてね。」
視線を上げた彼は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。
たまらなくなって彼を抱きしめようとしたら、
涙がひと粒こぼれた。
二つ、三つ、
続けて落ちた。
泣いていたのは、私の瞳だった。
彼が今度は優しく抱きしめてくれた。
そして、少し震えた声で耳元で囁いた。
「好きだよ、」
彼の口から発せられた、たった2文字とほころんだ笑顔は、間違いなく私が世界一の幸せ者である証だった。
先ほどよりも強く心臓がギュッとなって、悲しいのか嬉しいのか分からなかった。
たぶん、こういうのを幸せというのだろう。
そう思ったら自然と言葉がこぼれた。
「わたしも、好きです。」
953日
私が彼と出会い、たった2文字を伝えるのにかかった日数だ。
これまでどれだけの言葉を交わしただろうか。
趣味の話、仕事の話、しょーもない話もしたし、真面目な話もした。
お互いの考えを議論したこともあったし、時には正論を隠してまで慰め合ったこともあった。
この世の全てについて話し合ったのではないかと思うほど色々な話題を共有した私たちだけど、ようやく、953日かけて1番伝えたいことを伝えられた。
こんな簡単な2文字に何百日もかけたこと、
いま振り返っても後悔はしていない。
それは結果論かもしれないけれど、彼が私の隣で笑ってくれている限りは、どんな正論よりも正しいのだ。
夜が明けて、少しのんびりして、玄関先で
今までで1番苦しい抱擁を交わして、彼の家を後にした。
2021年12月30日
私は「彼」を、大切な人を置いて
この街を去った。
未来の保証は持っていかなかった。
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