私の「」なもの【1/3】

子供の頃、「すき」という言葉はとてもシンプルだった。

その2文字はただただ甘酸っぱく
その響きはただただ心を弾ませた。

大人になった今はどうだろう。

年月と共にいろいろな恋を知り、その二文字はたくさんの意味を含むようになってしまった。

本当はもっと単純なはずなのに。



「彼」の隣で初めて眠った日の朝、布団の重みで目が覚めた。

背中に熱を感じて振り返ると、昨日まで”ただの仲が良い先輩”だった彼が静かに呼吸をしていた。

頭の先から順に、姿を確認していく。
どうやら夢ではないようだ。

自分の腹のあたりを見ると、布団だと思っていた重たいものは、彼の腕だった。

運動不足だとは言っていたけど、元スポーツマンなだけあって筋肉はほどよくついている。

大きな傷跡がある二の腕
膝から手首にかけて伸びる筋肉のすじ
真っ直ぐに並んだ指と
キレイに切り揃えられた爪

順になぞって、最後は掌を自分のと重ねる。


昔から他人の手を見るのが好きだった。

彼の手を観察していると重ねていた手を彼がギュッと握ってきた。

「なにしてるの?」

眠たそうな声に後ろから囁かれる。

「手を、見てました。」

突然声をかけられたのと、寝起きということが重なり、声が少し掠れた。

握られた手をほどいて自分のを上に、握り返す。

「手?何の特徴もない手でしょ?」

今度は彼が指を絡ませながら握ってくる。
もう逃げられない。

降参を示すため彼の方へ寝返りを打つ。

「いや?あなたらしい手だなーと思った。」

手は、その人がどんなひとなのかをよく表していると思う。

カサブタやキズひとつとってもその人の性格が分かる事があるし、手の形はその人がどんな人生を送ってきたのかが映し出されている。


彼の手からは清潔感とわずかな不安定さを感じた。

きっと、相手の細かいところまで気が付く人だ。

だけど彼は大胆で大雑把。

そういう風に見える。
いや、正確には、そういう風に振る舞っているのだろう。

周りの空気やバランスを考慮した上で、時に大雑把な自分を見せるのだ。

それも含めて「気遣い屋さん」な彼

そんな彼が今は何の気も使わず、私の隣で脱力している。

完全に無防備だ。

今ライオンに襲われたら確実にやられる。

そんな、有り得ない妄想をしながら、
隣にいる愛おしい存在を必ず守ろうと誓ってみた。

この時ばかりは、自分が無敵な存在になったように感じていた。


「どんな手が好きなの?」

まだ眠たそうな彼があくび混じりにいう。

「どんな手…というよりは、手を見るのが好きなんです。

手は顔と並んで露出が多いし、日常生活で最もよく使う人間の部位でしょ。だから、その人の過去が刻まれてて、、、それを見るのが好きなんです。」

そう答えると、彼は「なるほどね。」とだけ言って私の手を握ったり、指の間をなぞったり、観察し始めた。

穏やかな、無限にも思えるほどの時間がゆっくりと過ぎていく。

彼は私の手を、硝子の縁でもなぞるように慎重に撫でた。

なんだかとてもくすぐったかった。

手が、ではなく、たぶん喉元のあたりが。


「他には?」

「ほか?」

「他には、何が好きなの?」

質問の意図が理解できていない私を見計らい、彼が付け足す。

「アニメと漫画、手フェチ、他には?何が好き?
誕生日プレゼントも、君のことを知らなすぎですごく悩んだから。」

そういえば、私たちが話すのはいつも、共通の趣味であるアニメと漫画のことばかりだった。

彼と私をつなぐものがそれだったし、
なにより私自身の話をするよりも
彼が確実に楽しいと思ってくれる話をしたかったからだ。

彼が私の好きなものを知りたがっている。
自分に興味を持たれていることが単純に嬉しかった。

「私の好きなものは、漫画とアニメと …」

改めて好きなものは何かと聞かれると、
「好きなもの」のはずなのになかなか思い出せなくて少し困ったが

ひとつずつ挙げていくうちに、自分には「好きなもの」がたくさんあるんだなと気付いた。

季節の変わり目が好き
動物は全般的に好き
磨かれる前の鉱石に心ときめく

星のカービィに登場するワドルディが好き
ポケモンは第二世代が好き
スマブラはリトルマックかゼロスーツサムス

山と海なら、海が好き
一生に1食材しか食べられないならトマトがいい
普段はパンツが多いけど本当はワンピースが好き
コーヒーは苦手だけど香りは好き

自分には本当に「好きなもの」がたくさんあるんだなと思った。

だけど本当は、夏と秋の狭間よりも、最弱といわれるリトルマックよりも、海で過ごすどんな時間よりも好きなものがあった。


いくつの「好きなもの」を彼に伝えただろう。
ひとつ挙げるたび、彼もそれに答えるように「好きなもの」を教えてくれた。

2人で合わせて50くらいは出ただろうか。

その中に、私の一番好きなものは無かった。

それを伝えるには私たちの関係はあまりにも曖昧で、脆くて、不確かだった。

そしてなによりも、大人すぎたのだ。

「これでプレゼントに迷うことは無さそうだね」

と、彼は言ってくれたけど
私たちには一緒に冬を越す確証は無く、ゲームで対戦する予定も無く、海も山も2人で行く約束はできなかった。

だから私は、せめて彼も同じ気持ちであれと願った。

私に手を握るその強さに、穏やかな優しい眼差しに、言葉のひとつひとつに、どうか、特別な意味がありますように。

そう願うことしかできないし、たった二文字を言えない私には、心の中で想うことしか許されないのだとすら思った。


時刻は朝の8時を過ぎ

目が覚めた時は薄暗かった空も、すっかり蒼さを取り戻していた。

私たちはまだ身を寄せ合っていた。

寒かったからではない。

離れたくなかった、とも少し違う。

こうしていれば、「おわり」に近付こうとする時間を、少しでも閉じ込めることができると信じていたのだ。


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