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「真田丸」第26回感想

歴史ドラマとしては大した動きの無い回(秀頼誕生くらい?文禄の役は殆ど描写されず)でしたが、人物像を浮かび上がらせるという点では非常に意味のあった回のように思います。


・ボケてそうでボケてないようでやっぱり裸の王様な秀吉

従来のこの時期の秀吉像はどんどん耄碌していっているというものでした。

ところが真田丸のこの時期の秀吉は決して耄碌していません。朝鮮出兵は「国内で大名たちを遊ばせておくとまた戦乱の世に逆戻りするかもしれないから、遊ぶ暇を与えない」という、戦の無い世を作るという秀吉の理想から逆算した考えられた手でした。仮装大会で周りの人々からヨイショされて大喜びする、裸の王様のような姿を映したかと思えば、「もう大名たちの士気は下がりきっている」と極めて冷静に現実を見ており、決して耄碌していない姿が描かれていました。

しかし冷静に考えれば、作中では家康や昌幸を筆頭に非常に醒めた目で秀吉と秀吉政権を捉えている大名たちが多く存在し、それらを内包しながら無理矢理「戦の無い世の中」を成立させている秀吉は、その場しのぎの仮初の理想世界に生きているのであり、やはり大きな観点から見ると裸の王様と言えるのかもしれません。

それにしても仮装大会のコメディタッチのドタバタ劇で小大名真田家の悲哀を浮かび上がらせる脚本は見事の一言に尽きると思います。

あと、秀吉が戦の無い世の中を作る為に行動しているのに対し、生き残る事に必死な真田昌幸というのは、やはり器の大小を照らし出している対比でした。勿論信濃の小大名の昌幸と秀吉では立場が違い過ぎて、それをもって昌幸を責める事は出来ないのですが。


・さりげなく徳川家に近付いているお兄ちゃん

本当にさりげない描写でしたが、家康・忠勝の宴席に呼ばれたり、家康との折衝(内容は仮装大会の出し物の相談という非常にくだらないものでしたが)を任されたりと、実は信之が徳川家に近い立場になっているという描写がされているんですよね。

関ヶ原の時に真田一家はああいう決断をするわけですが、そこに至る過程が丁寧に描かれていたと思います。近年の大河ドラマって展開が唐突でドラマとしてはお粗末なことが多かったと思うので、こういうのは本当に上手いなと思います。

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