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10月21日 明朝

明朝(みょうちょう)と読みたいのにフォントのほうの明朝(みんちょう)に見えてしまって、なんだかなぁと思いました。10月21日の朝です。

10月21日なんていうのは、ほんの数年前には何でもないただの一日だったけれど、今じゃ薄れゆく思い出の日の1つになってしまった。

考えると、大切な日、思い出の日、みたいなものたちは生きるうちに膨れ上がっていく。2/14・6/18・7/21・8/2と8/3・8/11・8/24・9/17と9/18・10/21、書き出してみると案外少なかったけど、そういえばアイツの誕生日忘れたわ、みたいなことも多くて少し自分が悲しかった。

この調子でそれらの日は量を増していき、いつかは1年の全ての日が、何かしらの日になるのだろうか。そうしたら笑って死んでいける気もするが、そんなに憶えておける自信もない。大切な日たくさん選手権とかがあったら、多くの完スト勢の中で下位に沈んでいきそうである。


沈むといえば、というか、このnoteを書こうと思ったきっかけというか、そもそも主題であったが、10月17日の土曜日、10年飼ってきた金魚が死んだ。人が死んだ時は「死ぬ」、好きな馬が死んだ時は「亡くなる」と書く自分が、10年を共に生きた彼女の死を「死んだ」と表現したのは少々驚いたけれど、それが自分の中の答えな気もした。

最期の半年くらいは、引っ越しに着いてこさせたり水温が変化したりで本当に負担をかけた。水温の変化でびっくりして卵を産んじゃったり、ご飯は欲しがるのに手が上に来ると怖がって浮上してこなかったり、かわいい娘だった。

卵を産んでくれたから、女の子だと分かった。いなくなっちゃう前に分かってよかったけど、わざわざ居なくならなくてもよかったのにな。引っ越しもやめておけばよかったね、水温の変化に弱いって知ったのも最近だったな。「さかな」とか「ボス」とか色んな呼ばれ方したけど、結局自分から名前をつけてあげることは無かったな。名前をつけちゃうと愛着が湧いて仕方がないからつけなかったけど、結局こんなに愛着があるなら関係ないね。もっと長生きさせてあげられなくて、負担いっぱいかけて、名前もつけてあげられなくて、ほんとうに、ほんとうに、ごめんね。

沈むっていう表現で貴女のことを書きはじめたのは、死んだ時に、普通は金魚は浮いて死ぬのに、沈んで死んでいたからだよ。水から引きあげた時、信じられないくらい重くてびっくりしたよ。10年飼ってきて、貴女がそんなに大きかったなんて初めて知ったよ。死んでからだけど、貴女にぴったりの名前をつけてあげなきゃね。なんだろう。「みなも」なんてどうだろう。貴女のいる水面はいつも騒がしくて、それが大好きだったよ。皆にご飯をもとめてて、愛嬌振りまいて、生き物嫌いな母すらも、引っ越す時に寂しがってたよ。いっぱい、いっぱい、ありがとう。

葬儀は慎ましく、水葬で執り行わせていただいた。どうせなら四万十川とか、そういう綺麗な綺麗な川に…とも考えたが、近所のなんでもない川にした。最期まで、生活の近くに、一緒にいてほしかった。


これだけ書いたら、すっきりした。今日みたいな思い出の日というのは、こうやって過ごして、こうやって増えていくのだろう。


そうだ。大切な日、思い出の日として10月17日を「みなもの日」にしよう。別に記念でもなんでもない命日なので、「〜の日」なんて質素な名前だけれど、きっと来年からもこの日は彼女を思い出そう。

それにしても、「みなも」、我ながら彼女にぴったりな、とってもいい名前だ。


追記:みなもの写真を載せときます。見てやってください。

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