2月8日~9日:骨の生体検査入院

あっという間に6月末…なかなか筆不精なのと抗がん剤治療、手術とバタバタしていたこともあり、更新ができていませんでした。2月の骨生検の痛みを思い出したくないというのもあったかもしれません。この記事も5月には下書きを書いていたんですが、全然公開する気にならなかった。2月の骨生検は、私にとっては人生で最大級に痛かったです。(子宮摘出手術の術後よりも痛かった)

2月8日:入院後すぐに骨生検へ

午前中に入院。「1泊だけだし!さくっと終わるわ~」と、気軽な気持ちで松葉杖にリュックを背負って1人で入院した。

看護師さんに病室やトイレの位置などを案内してもらい、スケジュールを聞く。その後、薬剤師さん、担当の先生もいらして、先に点滴の針を入れてから手術室に行くことや、薬の説明、入浴不可、検査後の2時間は全く動けなず、止血が確認できてからはトイレなども行けるなどの説明を受ける。昼ご飯が食べられないことを知り、ちょっと残念な気分に。先に知りたかった!生検後は夕飯は普通に食べられるとのことで、それを楽しみに生体検査を受けようと思った。

部屋は4人部屋だった。ちょうどその日に1人退院されるようで私を含めて部屋には患者さんは3人だった。廊下側でトイレに近くて翌日これが大変助かった。

当初は15時くらいに生検すると説明を受けていたが、時間を早めても大丈夫かという確認が看護師さんからあり、OKですと伝えるとすぐに準備をすることになった。病棟の共用のスペースなどを見てみようと思っていたが、この時間変更で結局、この時の入院ではトイレと病室しか行かなかった。

正午には検査の準備のために手術着に着替えはじめた。大人用のおむつも着用した。おむつ代とかあとで請求されることを初めて知った。ベッドで待っていると看護師さんが確認して点滴の針を入れてくれた。ストレッチャーに寝転び、ふとんをかけていただいた状態で看護師さんが手術室まで運んでくださった。寝ながら移動するのは初めてだったので、通ったことがある廊下でも視点が変わるとドキドキ。どこに運んでいるのかいまいちよくわからないけどレントゲンを撮影した部屋の近くかなと思った。生検の担当は放射線科と聞いていたので、あのあたりかな~。

いざ骨生検

骨生検はCTで腫瘍の場所を確認して刺す経路を決め、最短でスムーズに骨の中の組織を組織をとってくるという検査方法だと主治医から聞いていた。

手術室に入ると数名の方が待機していて、ガラス張りの奥の方の部屋でモニターの前で待機している方も数名いた。CTの画像は奥の部屋で確認するんだろうなと思った。

すぐに手術台に移されて、点滴をセットするなど準備が進められる。それと同時に麻酔や手術の説明を受けた。おそらくメインの担当の先生が説明をしてくださったと思う。マスクをしていて目元しかわからないけど、とてもきれいな女医さんだなと思った。ちなみに手術室に入ってから、私に触る必要がある準備や消毒などの準備は、ほぼ女性の方がしてくださって配慮されているなと感じた。場所が恥骨だし、心電図の準備もあったのでフルオープンって感じでしたがあまり恥じらいはありませんでしたが、初めての経験で終始緊張はしていた。男性の方もいらした(おそらく技師さん)けれども看護師さん(だったのかな?)がメインにいろいろやってくださった。

先生の説明は以下のような感じだった。
・初めに局所麻酔を打ちますので痛かったら言ってください
・CTで撮影場所を決めてから針を入れます。針で組織をとるときに「バチン!」(←実際に手をたたいて音を出してくださった)という音がして組織を取ります。このときに響いて痛みが出るかもしれません
・組織の採取が1回では少ない可能性があるので2~3回実施する可能性があります。

準備が整い、局所麻酔が開始される。痛みを感じたので「痛いです」と先生に伝えると、「ではもう少し追加で麻酔をしますね」と言われて同じような痛みがもう一度走る。。
あ、あれ?もう一度この痛みを感じることになるとは…!麻酔したからすぐに痛くないのかと思ったのに…!歯医者の麻酔も針刺すときにちくっとするからそれと同じだと思うことにしよう、などと考える。

そして諸々の準備やCTがおわり、いよいよ針が入るとき。正直、麻酔が効いているのかよくわからなかった。針が入るときは足に何かが入る違和感はあった。おそらくこの時、私は既に混乱していた。
え?ちょっと待って!と思っているうちに「では今から採取しますね」という先生の声の後「バチン!」と音がして、その瞬間に恥骨部分から全身にビリビリとしびれる感覚が走り、「いっっっ!!!」と声が出た。
何この変な痛み!?なんか全身の骨がしびれる感じなのか!?今まで経験したことがない痛みが走った。
そんなことを思っている間にすぐに「念のためにあと2、3回とりますね」と声がかかる。
(え!まだやるの!?もう無理だからあと1回だけにしてください…!)と必死に心の中で祈る。

2回目の採取。「バチン!」という音がした。またもや「いっ!!」という声が出る。
(お願いだからもうこれで終わりにして…!いや、まじで痛いんで無理!)と強く祈る。気が付いたら涙がツーっと流れていた。
びくびくしていると、
「十分とれたのでこれで終わりますね。取れた組織はホルマリン漬けにして検査結果が出るまで2週間くらいかかりますね。」
と先生の声がかかった。
(あ、良かった…。終わった。)
はぁ~終わった。。涙目で放心状態。

どのような順番で何がされていたのかはうろ覚えだけど、CTが動いていたことと、女医さんがきれいだったこと、骨生検がマジで痛かったこと、採取した細胞はホルマリン漬けにされることはとても印象的で覚えている。

正直、局所麻酔で意識がある状態が怖くて、寝て起きたら全部終わったらよいに…!と思った。

術後は病棟の看護師さんが来てくださり、病室へ。ベッドに移動する際は看護師さん数名でうまい具合にストレッチャーからベッドへと動かしてくださり、こんな動かし方があるのかとびっくりした。

生検後、主治医の先生が来てくださりちゃんと組織が取れたこと、検査結果に2週間くらいかかるなど話してくれた。「どうでしたか?」と聞かれて「今までに経験したことがない痛みでした。痛かったです。」と答えると「そうそう経験しないと思いますよ」みたいなことを言われて、(そうだよね、聞いていたよりも全然痛かったんだけどな~)と思った。でもこの時の痛みはまだましだった。

当日の夕方

術後は2時間は身体を全く動かせないとのことで、病室のベッドで寝ていた。2時間立った時に看護師さんが来られてOKをくださったので、まずはトイレに行った。トイレには松葉杖で行くまでは良かったが、終わって出る頃には発熱が始まり、ベッドに何とか戻ってくるときにはゼイゼイ息が上がる感じになったのでベッドでひたすら休んでいた。38度か39度近くか忘れてしまったけど普通は出ないくらい熱が上がっていた。看護師さんにロキソニンをいただいて飲んだ気がする。

18時頃には夕食が出たので半分くらいは食べた。ただ、手術の時に入れた麻酔が切れたようで、その後から骨に響く痛みがひどくなり、ロキソニンを飲んでも効かず、どうしようもない最悪な夜になっていった。なんとか旦那さんにLINEで連絡して痛みから気を紛らわすみたいな感じだった。過去のLINE見てると19時40分から夜中の2時くらいまでひたすら痛がってる内容を送ってた。

私がとても痛がるので、看護師さんが先生に相談してくれたけど、正直ロキソニン以外の方法がほとんどないようで、通常6時間おきに飲むロキソニンだけど4時間30分おきに飲めることになった。また、消灯した後だったと思うけど、座薬の痛み止めを入れてもらった。座薬は多分少し効いたと思う。それで30分か1時間くらい眠れた記憶がある。

また、これも消灯してからアイスノンを貸していただき、冷やすことで多少痛みがましになった。それでも痛くて1時間おきにナースコールをして体勢を変えてもらったりしていた。1時間以内に2回呼び出すとかも申し訳なくて、本当に早く時間良すぎてくれぇ…!という状態だった。

どんな痛みかと言われると、恥骨から足先や上半身に向かって響く痛みで、心臓の拍動に合わせてかつーん、かつーんと響く感じというのが一番近い表現かなと思う。心臓を止めてくれ、意識をなくしてくれ、と願うくらいの痛みだった。

泣いても祈ってもお願いしても痛みがなくならなくて、人間の一番弱い時って、痛みがなくならないときなんだなと思った。入院前にもらったお守りをスマホに付けていたのでそれを握って祈ったりしていたが全然よくならなくて本当に神はいるのか!?とか色々と感情がうごめいた。

一番つらかったのは、よし30分くらい時間たったやろ!ナースコールして体勢を変えてもらおう!と思って時間を見ると30秒しかたっていない…となったときの絶望感。待って、時間ってなんでこんなに遅いの?スマホ壊れてる?正確に刻む時計って残酷やわ…と苦悶しました。

泣きつかれて頼むから寝させてくれよ~と思っているときに同室のおばあさんの寝息が聞こえてきて、このおばあさんの寝息に合わせて呼吸をすれば眠れるかもしれないと思って試したりした。効果は不明だが、規則正しい寝息になんとなく安心して助けられた気分だった。4人部屋でよかったと思った時だった。

私ができた工夫と言えば、少しでも時間が早く過ぎるようにトイレに行くことだった。既に寝返りも足も動かせないくらい痛いので、ナースコールで看護師さんに解除してもらいながら車いすでトイレに連れて行ってもらい、座らせてもらったり脱がせてもらい、終わったらまた介助してもらってベッドに戻る、これだけでもそれなりに時間が消化できた。動くのは痛いけど、ベッドにいても痛いので、徹底的に動けるだけ動いてそのうち疲れて眠れるだろうという思考に至っていた。夜中に2回、トイレに行かせてもらい、アイスノンも変えてもらいながら明け方に何とか2時間眠れたと思う。
朝5時30くらいに目が覚めて、そこからも長くかんじたな~。

2月9日:退院日

朝一で血液検査。朝ごはんはパン食が出たがほとんど食べられず、リンゴ2切れだけ食べた。甘くておいしいリンゴだった。

血液検査に問題なければ退院できるとのことだった。昨晩の私の痛がり方に看護師さんが見かねたようで、先生にできる限り痛み止めを出して欲しいという旨で言ってくださり、ロキソニン(痛み止め)、レパミド(ロキソニンとセットで出る胃薬)、カロナール(痛み止め)を退院処方してもらった。
「先生がカロナールは効かないと思うけどな」とぼそっと言ってましたが、「お守りでよいから何でもよいから退院させてくれ!」とその時に思っていました。傷口を先生に確認してもらい、問題ないとのことで消毒してから退院OKとなりました。先生も退院すれば大丈夫だと思う、みたいなこと言ってました。

来たときはリュック1つの松葉杖が余裕でしたが、帰りはしんどかった。1人で退院する予定だったから旦那さんもいない。でも退院できる喜びで松葉杖でリュック背負ってタクシーで1人で帰りました。この時は我ながらすごい根性出したなと思いました。え?一人で帰る?という感じで看護師さんが若干引いてた気がした。

帰宅

10時ごろに家に帰宅。エレベーターがこんなに有難いと感じたことはなかったかも。しかし、家についてからもなかなか大変だった。うちの寝床は床に布団を敷いているので、寝ようと思ってから体勢とるのが大変。また恥骨が痛すぎて少しでも毛布などに足が引っ掛かると痛みが走る。ゆっくり、なるべく最小限の動きで動くようにした。ベッドだったらまだ寝やすかったと思う。

前日からの疲れもあったと思うけれども、やっぱり家の方が眠れた。お昼は食欲がなくてほとんど食べられなかったが、少し食べて薬を飲んでその後30分くらい気絶したように眠れた。その後、体勢を変えてひたすら眠れたと思う。

幸いなことに、家に帰ってからは寝るたびに痛みが小さくなったり、ましになっていったので痛くて眠れないというのはなくなった。助かった…!

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