汎用性の高い会話能力の必要性について

年末年始、忘年会や新年会の季節である。
普段なら絶対に会わないような昔の友人とも
一緒に飲みに行き話をする機会が増える。

そんなさなか、ふと気づいたことがある。

自分が普段会話している仲間は、世間からかなり逸脱したものではないか。
人や分野などの対象も違えば、その対象の起こった場所、将来や過去などの時間など会話内容に加え、会話のペースも違う。

すると、必然的に自らの言葉の認識の程度に差があり、
小さな齟齬が生じ、積み重なり、会話内容がどんどんずれていく。

阿吽の呼吸とはよく言ったものだ。
IQ、EQ、JQ。巷にはさまざまな能力指標が存在するが、
普段ともに時を過ごす仲間は比較的IQが高い人材が多く、
いかに理解度が高いのか実感する機会となった。

当然、彼らには感謝の念を抱くことは欠かしてはいけない一方、
学生生活もあと少しということもあり、
社会に出たときに、誰とでも汎用に会話できる能力を身につけることが急務であると感じた。

結果、今の自らの能力向上に必要なピースは以下の2つと思料した。(あくまで個人的な感想であるので、ご留意を)
1. 誰でも興味を持てるネタを持つ
2.良きは会話は拾い、悪しは聞き流す

・誰でも興味を持てるネタについて
会話が下手な人(会話が上手いと思っている勘違いも含む)ほど、身内ネタで他人をいじることで笑いを取ろうとする。
身内ネタもいじりネタも数人を笑わせるのには簡単な手法であるが、実は全体の場が総合的に盛り上がっているとは言えない。
誰でも面白いと思えるぶっ飛んだエピソード提供や、他人を貶めるのではなく聞いている人を幸せにできるエピソードの提供が会話の上手い人と気づいた。

・良きは会話は拾い、悪しは聞き流す
会話は質問と回答により構成される。
よって、質問は会話の流れと質を決める因子となる。
だからこそ、頭のいい人は恥ずかしい質問は絶対にしない。
これは紛れもない事実。
一方で、この考え方を日常会話に持ち込むのが間違いである。

僕の上司は常日頃から、「頭の悪い人と会話したくない」という。
一般的にはIQがIQが20以上で違うと会話にならないらしい。
ただ、だからと言って会話しないことの言い訳としていいのだろうか。
世間に転がる無限のチャンスを無駄にしないためにも、
誰とでも話せるようになる必要がある。

でも、会話のレベルを落としたくはない。

以上を踏まえ、自分が感情的にならず楽しく会話するためにも、
いい会話は続け、
悪い会話においてはロジックの破綻にいちいち突っ込むことなく、
あまり反応せず深掘らず、次の内容に移っていく。

これに尽きると感じた。


新年早々のベタ打ちnoteだが、自らにはいい教訓となった例である。



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