「福岡市 文化・エンターテイメント活動支援事業」と関わって産まれた思考や気付き 【その1】

やっぱり福岡市の文化・エンターテイメント活動支援事業、大変気持ちがよろしくない。全行程終了したら別のノートにまとめてみます。

いまの感触としては、現状や福岡市でどのような文化的な活動が普段行われているかなどの現場に関するリサーチができていないのに、形だけ他の都市を追った感じがあるのですが、事業名にもともと芸術が含まれていない為、この話は私の業界から見ると、最初から論点自体ずれているのかもなぁと思うようになりました。

となると、福岡市の定義する文化とは何になるのでしょうか。
疑問がつきない…

論点ずれてるという前提ですが、話を続けると、
1番の沸点くすぐるポイントは支援対象者の名称がアーティストと事業者という枠になっていることです。アーティストってなんやねん。シンガーはシンガーやし、パフォーマーはパフォーマーやし、アクター・アクトレスはアクター・アクトレスやし、ダンサーはダンサーやし、コレオグラファーはコレオグラファーや…
芸術家かどうかと、役割の名称は全く別のところにある。そもそも、エンターテイメントとアートって社会的に区別されるべきというか、そもそも違うものやん。
なんでもアーティストって行政が言っちゃうの。テレビいっぱい見てるの?だとしたら、アーティストってミュージシャンのこと想定してるでしょ。記載例ももれなくミュージシャン推しでしたね。ふふ。


なんでもアーティストに限らず、なんでも〇〇って言っちゃおう系の、言ったもん勝ち、名称つけてブランディングみたいなん、社会へこっそり責任を置き去りにしてる気がする。
もちろん多様な個人が選ぶ生き方の上で現状があるわけだけど、少なくとも、行政が世間の風潮みたいなものに責任をふわっと置き去りにするのは違う。え、もしかして、私が知らないだけで、行政ってそういう存在?
しかし、行政も当たり前に個人の集まりだから、専門性がある人がいないとまぁこうなるよな。結局は今の日本全体を反映してるんでしょう。


個人が多様な情報に気軽にアクセスできるようになったからこそ、専門性が軽んじられる社会になりつつある。最近よく聞く。


オンラインの情報で分かることには、常にオンラインであるという制限がつきまとっていますが、私達はこの気軽さと情報量の多さによる万能感に簡単に騙されます。ウィキペディアとかめっちゃ使えるって思ってしまいますが(実際使う)、なんとなく物事の概要の半分(言い過ぎ?)くらいを知りたい時に使うものです。私の個人的な感覚でしかないですが、自分の専門分野を調べると感じます。うーん、なんとなくそうそう、そんな感じ。くらい。※偏った視点です。


自分の専門分野のことですら調べ勉強し経験していくのに時間足りないし、こうして時間が経つ間にも情報は蓄積され続けるわけですから、専門家って、その存在が見えている人々にとってはとても貴重なんですよね。



話脱線しすぎた…


えーと、支援事業のお話でしたね。やっべ。


気づいた点は纏めていきます。
今後舞台芸術が復活しない可能性を考えた時に、この状況下での感覚や思考は次の生活の仕方や、各方面との関わり方などを再考するのにも必要になってくるんだろうなぁ。

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