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満を持して はないけれど女衒その後

全くもって満を持してない感じがたっぷりすぎるが(ていうか誰が待ってるんだよ?てゆうーーー)1126(いいフロの日)を記念?して書いておこうと思った、今日は1126の日。あれから5年かーと時の流れを感じつつー。あれからというのは、第二子をトイレに産み落としてしまった(まだ10週?だったので、ららぽーと内で多量出血し、ららぽのおトイレで産み落としたのではないかと予想しているだけです、だから、実際んとこ家のトイレかもしれないし、なんならナプキンに巻いて捨ててしまっているかもしれない。ちなみに胎盤とかそいうたぐいのものは産婦人科できちんと処置してもらいましたので、ごすんぱいねぐ)そう、その胎盤を産婦人科で処理してもらった日が1126ということになります。そっから5年。3連休かなんかで23日に出血しまくってから安静にしていたものの、流産してるんだから、当たり前に超多量出血し続け26日(月曜だった)を迎えたというわけです。朝から病院にいき、夫は私が自殺するかも?と母を呼び、2ヶ月くらい肩をおとしまくり、なで肩と猫背が悪化、気分の起伏激しく(これは通常?)、特に激やせ/太りとかはなかったけれど、いつも通りに腹をくだしがち、仕事にもかなりの支障をきたす(正式に夫の扶養に入る運びとなる。)第二子も生まれてこれたらよかったけれど、最初から生まれてこない人生を選んでいたのだなぁと今は普通にそう思えます。ありがとよー。しかも、といってはなんだけれど、帝王切開じゃなく産道を通っておトイレかナプキンにしみこんだしね。と、自分に言い聞かせている。いや、でも妊娠したことはよかったと心から思っています!これで、自分が死ぬのも怖くなくなったというか、死んだら会えるみたいな新しい楽しみみたいなもんを運んでくれたよーな気さえしてますよ。だから、生まれてこない人生選んだあんた最高やでと、5年経った今ようやくそれをたたえます!

話は戻り、女衒こと、G、ク○G、時々奴などといっている我が父のことである。そういえば、夏休みにたまたまあさやんとの話の流れで「弟か妹がいたらなー、あのとき死んじゃったから」的な話をしていたところ、奴に「でも、希望する流産だったんだろ?」と、言われる。耳を疑う(あ、でも言いそうー)何いってんだこいつ?と、とりあってしまったことを思い出した。今なら、「私がお母さんのお腹にいるってわかったときも希望してた?あ、弟が第二子だもんねー」とか「あんたも流産希望の口やろ」と言い返せたが、そのときは、いらっときて普通に答えてしまったこと、流産を希望する人なんていないだろと言ってしまったことさえ悔やまれる。もはや、そういうこと言う人なので、言われたことに関して、真正面からとりあってやるもんかと思う自分に改めてあっぱれである。まぁ、もちのろん、孫なんぞに興味などなく、最近生まれた甥っ子の名前も覚えられない?ほどであるので、もう希望する流産発言に対して追求するとかはない。謝罪とかもいらないし、自分の言動行動省みてほしいとかない、ただただ私の人生から消えてほしいと願うばかりである。もうずっと願ってますが?

母との離婚会議において、っていっても、現状、母が作戦会議をしているだけなんだけれども、10月11月にはいろいろ動きもあり、実際に私が動いてはないのだが、正直精神的に衰弱しそうになってしまったり・・・?んー、別に衰弱はしてなかったけれど、あーうーと、時折髪の毛かきむしりたい気持ちになっていたり、朝起きるとあいつ死んでたらいいのになーとかそんな感じ。だから、これもまぁいつものことっちゃいつものことだなとかいてて思う。ただ、ありがたいことに少しでも忘れていられる時間割を自分で作れていたのか、周りがそういう時間をつくってくれていたのか、そのどちらもかな?というわけで、常に頭の片隅にあるものの、1日頭の中を支配されていることもなく、どぎまぎ少々でXデーとやらを迎えられそうである。ただ、忘れて過ごす時間が長かったりすると、思い出した時に変な罪悪感に苛まれるみたいなこともあり。(そんな忘れてて自分だけ楽しんでごめんねーなんていう罪悪感ていうか、それ欺瞞やでみたいなん、もってどうするの?とも思うけれどそういう脳内経路なんだから仕方ない)とにかく、疲れる脳内迷路としかいいようがなく、だからといって、ふさいでいてもなんの解決もなく、思いつくことがあればどんどん提案して、粛々と準備をしてもらうに限る。幸い、母の周りには強力な強靭で狂人な助っ人たちがいて、それはもうありとあらゆる知恵を授けられたし、ふさわしい量の準備期間があったと思う。私もかなり提案するタイプではあったけれど、助っ人たちの方が母に近いところにいて、やっぱり遠くにいる娘より近いところにいる友人だなと安心してしまっているところがあった。なんならば、母友人に「〇〇(私)も同席するとすれば、私が何を言うかわわらない、怖い、やめた方がいい」と言われる始末であった。でも、実際、これに関しては、母と私の中で、奴にとって嫁と娘は自分の支配下であり、下僕で、なんあら奴隷扱いおけーで、自分が見下すべき人認定の範疇であるが故、我々はリアルに何をされるかわからないというのが濃厚だなという話で落ち着いた。ちなみに、奴の血には自分を高めるためのあからさまな差別の血漿が流れまくっているので、彼自身も我々を見下していることには気づいておらず、それが彼の自然体であるというのがまた・・・という負のループを繰り返す。はぁぁ。これって死んだらなおるのか?

そして、Xデーがやってくる。ここまできたら、タイミングはもうここだ!というタイミングで、任務遂行のみである。相手がどうでようが、言うべきこと(のみ)を言い放ちさぁ!というところであるナウ。本当は詳細まできちんとかきたい、かいておくべきと思うが今の自分には無理かも。いやな想像が先走ってかけないの。いやな想像というのが、これまた広範囲すぎて収集がつかない。想像というのは無限だなぁ・・・(と関心している場合ではないのだけれど・・・。)

最後に、これは本当にここに書き記すのもどうかと思うが、私はもしこの件で父が自死するのならば、それをありがたいと思うだろう。今、思い出すことのできる父がいる思い出を掘り起こそうとすると、家族でたくさん旅行に行った、ディズニーランド、温泉、、、でもそこには家族でどこどこに行きましたという事実があるだけで、その中身をみると父との思い出で心からあったまるような過去の風景は思い浮かばない。断言できるかもしれない。私が乳児のときはあったのか・・・なぁ。そういう風景。あったとしても、お膳立て人生の彼だから、母や周りに作ってもらった風景としか思えないなぁ。表面には出していなかったが、3歳頃から確実に父親嫌悪があり、本当に嫌で嫌いで、でも器用に?いや器用なふりをして、その感情に余裕でふたをしてきた。もし仮に彼が人生を悔やんで自死を選ぶとしたら、(いや、自分自身を悔やむとかなさそうーと思いつつ。でもそれを選ぶとしたら)私は彼の死に何を思うだろうか。希望する自殺とはきっと思わないよ、それだけは申し上げておこうかな。

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