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自由だから自分に不自由を設けるべきである

皆さんはマインクラフトというゲームをご存じでしょうか?

多くの方が知っている前提ですが、改めてウィキペディアを参照してみるとこんな感じ。

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ゲームの世界は、主に立方体のブロックで構成されており、プレイヤーはそのブロックを原則自由に設置・破壊できる。地上には道具等の素材となる木々が茂り、地下には松明の材料やかまどの燃料となる石炭の他、鉄、金やエメラルド、ダイヤモンドなどのさまざまな鉱石が埋蔵されており、それらを使うことでより良い生活ができるようになっていく。
ボスモンスターも存在するが、それを倒すことを最終目標にする必要はなく、プレイ目標はプレイヤーの意志に委ねられる。

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/Minecraft)

文字が多いのが苦手な人のためにもっと簡単に言うとデジタル世界の積み木みたいなものです。

このゲームにはクリエイティブサバイバルという2つのモードがあります。クリエイティブモードとはいくらでもブロック(先の例でいう積み木、今後はブロックと表記します)が使い放題で自分の好きなものを作ったりできるモード。サバイバルモードはプレイヤーに体力が存在してその自由な空間の中で生き残り続けるというモードです。

最近ではニンテンドースイッチやプレーステーション、さらにはスマートフォンでもプレイすることができるために中高生だけではなく小学生にも大人気のゲームとなっており、オンラインで友人とボイスチャット(電話)しながら各々の目的に応じてオンラインの自由空間を楽しむことができます。

このマインクラフトと今回の本筋との共通点の中で特に重要なのが「自由」というキーワード。

自由とはなんでしょうか。一応ウィキペディアで調べてみましょう。

自由とは、他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいう。哲学用語。

(参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E7%94%B1)

言葉の定義は大事なのでここでの自由は「自らの意志や本性に従っていること」と定義。逆に不自由を「自らの意志や本性に背くこと」と置きましょう。

ゲームの話を例に出したのでゲームで例えるなら、魔王を倒す勇者を操作するゲームはフラグを回収しなければ町を先に進むことができないように制限があります。僕の青春をささげたポケモンもゲームをクリアするためにはゲーム会社が作ったイベントを進んでいかなければいけないために、実質的には自分の意志や本質から外れた行動(例えばジムリーダーを倒すために無意味なレベル上げをしなければいけないように)をする必要があることから不自由だと言えるでしょう。

そこでマインクラフトはどうでしょう。マインクラフトの世界には何かをしなければならないという縛りはほとんどありません。ブロックを壊すためのボタンも簡単に変更できますし、マインクラフトの世界で重要な資源となる木材を伐採する際には斧を使うと効率的に採取することができますが、時間をかければ素手でも問題ありません。つまり自由です。

そんな自由な世界観のマインクラフトですが、友達の中には「楽しみ方が全く分からない」と話す人も少なくないのです。なぜならゲームクリアがないから。自分のやるべきことが分からないというのです。先ほど不自由だといったゲームたちも世の中では大人気で、不自由だから面白くないという方程式は成り立たないようです。

そこで今回の本題なのですが、自由な世界は実はめちゃくちゃ難しいのです。それはマインクラフトをやっている人の中のほとんどが何かしらの「目標」を持って楽しんでいることからも分かります。例えばクリエイティブなら街を作ろう、どこかの都市を再現しようと、サバイバルモードなら生き残ろうと。

もっと具体的に言うとサバイバルモードが分かりやすいでしょう。マインクラフトというゲームでは自分のライフを削りに来るために数々の敵が襲い掛かってきます。

例えばこのゾンビというモンスターがいます。マインクラフトの世界には朝と夜がありますが、夜になるとこのゾンビたちがプレイヤーをめがけて攻撃を仕掛けてきます。

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(画像参照:https://seesaawiki.jp/minecraft-wiiu-edition/d/%A5%E2%A5%F3%A5%B9%A5%BF%A1%BC%A4%C8%A5%E2%A5%D6)

ゾンビに襲われてしまい自分のライフが0になってしまうと手持ちのアイテムをすべて失ってしまい、リスポーン地点(一番最初にそのマップに登場した場所)に戻されてしまい最悪の場合は苦労して集めた資材を失ってしまう恐れがあります。

本題からは逸れますがその対策方法としては

①松明で明かりを灯してゾンビを近づけない(ゾンビは明かりに弱い)
②穴を掘ってそこに埋まり朝まで時間を過ごす(約数分でゾンビが死に絶える朝が来るためその時間を穴の中で過ごすとゾンビは襲ってこられない)
③剣などの武器を作ってゾンビを倒す

大きく分けてこのような3つ手段があります。別に死んだとしても再び同じマップで生き返ることができますし、ベッドを作れば復活地点を自由に設定できるのでマインクラフトの世界において死ぬことはそこまで恐れる必要もありません。現実世界ではあり得ない死ぬことさえもこの世界では重要な要素ではないことが分かります。

だからこそ出てくるこのゲームの楽しみ方が目標という「不自由」なのです。

僕は現在大学生という身分で生きています。1~3年生の間に必要単位をほとんど取得したので1年間ほど大学の中で強制されていることはほとんどありません。小中高大学生と過ごしてきた中でいまが一番余暇を持て余していますし、社会人の方々を見ていると僕以上の余暇を持て余している人は少ないのではないかと思います。つまり、僕はいま(かなり)自由な世界の中で生きています。

さて、この自由な世界は幸せだと言えると思いますか?


答えはNOです。自由な世界は幸せであるとは感じません。

もちろん個人差はあるでしょうが、この日本に生きている中では納税制度があるため何も価値を生み出さないということは生きているだけでマイナスです(税金で供給される公共サービスを享受しており、そのサービスの価値が納税額を上回っているためにプラスなのかもしれませんが)。

何かの価値を生み出すためには不自由が必要です。ここで言う不自由とは、自分のやりたくないことをやらなければいけないということ。さらに言えば自分の好きなことや自由な世界の中で価値を生み出している人もいることもありますが、より高い価値を生み出すためには不自由な世界は必要不可欠です。

ユーチューバーという職業で考えてみましょう。普通のサラリーマンと比べると比較的不自由のない世界でやっている人たちで成功すれば一般人でも高い知名度とお金を得ることができます。やっている内容は一般的にはくだらないことだらけだとしても。

しかし、その中にも動画を編集する必要、ユーチューブを運営しているグーグル社のポリシーを遵守する必要だけではなく、多くの人の目につくように企画や編集に工夫を凝らさなければいけません。僕の大好きな東海オンエアというグループを見ていてもそう思います。やっていることは小学生でも考えつくような単純なものだったとしても、より多くの人に動画を見られるような工夫を自分たちの知名度や評判、期待などの外的要因の中で工夫し続けなければなりま。

好きなことをやるにしても不自由な世界を持つことはより多くの価値を持たせることはつまり、不自由は価値を生むと言えるでしょう。

どうして不自由は価値を生むのでしょうか。それは簡単です。人は不自由を嫌うからです。自分が嫌いなものは他の人も嫌いなのです。多くの人にってトイレ掃除って嫌じゃないですか。しかし、トイレ掃除をすることで快適に過ごすことができる人も多いですよね。不自由はより高い価値を生み出せるということをもっと正しく言うと、「自分が嫌いなことは他の人も嫌いな可能性が高いために競争率が低く目立ちやすい」という側面があるのだと考えています。

縛りを付けるという意味では宗教なんかも同じことが言えるのではないかと思っています。僕自身は宗教自体に深く詳しい訳ではないのですが、宗教を信仰する上ではそれらの宗教の考え方や教えなどから数々の不自由が出てきます。しかしながら、それらを守ることで神に救われるという安心感が生まれ結果的には幸せな生活を送ることができるとも考えることができます。人生における不自由は人を幸せにするのかもしれないという僕の中の仮説です。


マインクラフトに比べると実際の生活はより自由度は爆裂に上がります。身分や環境などによってその人の自由度は変わってくると思いますが、その自由な中でいかにして縛りをつけて人生を豊かにできるかが大事なので、自由に縛りをつけてみてはいかがでしょうか。

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