女子サッカーの歴史をめっちゃ簡単に学ぼう 【2023年7月29日】

・女子W杯、ちゃんと見てますか。私は結構見ています。とてもバランスの良いサッカーをしていて、それでいて選手たちの長所がよく計算された戦術でいい感じだなと思って見ています。

・ところで、前回ぐらいに「九州ダービーについて書きました〜」的なnoteを出して見たところ、結構受けがよかったというのと、個人的に歴史を振り返るというのが思っていたよりも面白かったので今回もやってみたいと思います。

・↓九州ダービーについて書いた日記


・今回テーマにしたいのは「女子サッカー」です。調べていたら、なでしこリーグの公式サイトに22ページの歴史書があったので、今回はそこから大事な情報を抜き出していきながら歴史を見ていきたいと思います↓


・大正時代から女性の地位向上のための運動が進んでおり、昭和中期以降から「男性が楽しんでいるサッカーをやりたい」という女性が増えていき、1970年以降には関東・関西で女子サッカーチームが誕生。そして互いに盛んに試合を行うようになったらしい。

・その中でも「FCジンナン」というサッカーチームは有名。そのチームの成り立ちが結構ヤバイ。JFAの女性事務局員が雑誌でメンバーを募集して立ち上げたチームで、当時のJFAが原宿の神南という場所にあったことからこのチーム名になったとか。ちなみにFCジンナンは1977年のアジア大会 日本代表チームとして参加(結果はGL2戦敗戦)。

・1979年には女子サッカーチームも日本サッカー協会への登録が開始。1980年には全日本女子大会(いまの皇后杯)が開幕、初回大会優勝はFCジンナン。

・1981年にはアジア大会に選抜チーム(代表)が参加。1勝をあげたもののGL敗退。

・1990年には北京で行われるアジア競技大会で女子サッカーが競技として採用されることが決定。それに際して「競技力向上のために女子のサッカーリーグが必要」として相当無理を重ねながらも、1989年に「日本女子サッカーリーグ(以下、Japan Ladies Soccer Leagueの略称「JLSL」で統一)」が開幕。

・JLSLの初年度は6チームが参加。初年度は、以下のチームが参加。

読売サッカークラブ女子・ベレーザ(東京)、清水フットボールクラブ(静岡)、田崎真珠神戸フットボールクラブ・レディース(兵庫)、日産FCレディース(東京)、新光精工FCクレール(東京)、プリマハム・FC・くノ一(三重)

・ちなみにFCジンナンは、日産自動車をスポンサーとする「日産FCレディース」となって参加している。

・初代王者は「清水フットボールクラブ」。全日本女子大会 2回大会以降で7連覇を成し遂げた「清水大八」というクラブがあったが、資金難で全国リーグへの参加を断念。そこで鈴与から資金援助を受けていた「清水フットボールクラブ」が参加することになり、それに際して7連覇の主力が4人も移籍。さらにドイツのクラブから獲得してきた外国籍ストライカーも大活躍。結果は8勝1分1敗の大優勝。

・1990年開催のアジア競技大会では決勝まで進出。決勝で当時競合の中国に敗れたものの準優勝

・その後、JLSLでは昨年優勝を逃した読売サッカークラブ女子・ベレーザ怒涛の4連覇。その強さの秘訣は環境と育成。よみうりランド内に専用のトレーニンググラウンドがあり、さらに同施設内で読売サッカークラブのトレーニングから刺激を受けてグングンと成長。

・1991年には第1回目になる女子ワールドカップが中国で開催。日本はGL3敗で敗退。

・ここからはJリーグの開幕と好景気の影響で様々な企業が女子サッカークラブが誕生。「日興證券ドリームレディース」「旭国際バニーズ女子サッカー部」「松下電器レディースサッカークラブ・バンビーナ」「フジタ天台サッカークラブ・マーキュリー」の4チームが加わり、JLSLの参加チームは10チームに。1994年には松下電器レディースサッカークラブ・バンビーナがリーグ優勝。1996年には日興證券ドリームレディースがリーグを3連覇。新規参加チームが結果を残します。また、ここでJSLSは「L・リーグ」へと名称変更。

・しかし、輝かしい話題ばかりではなく「日産FCレディース(元・FCジンナン)」が横浜マリノスがJリーグ参戦の影響により経費削減のため廃部に。

・ここからはバブル経済崩壊後の影響で、基本的に企業クラブが主体であったチームに危機が。1998年にはリーグ3連覇を成し遂げた「日興證券ドリームレディース」の廃部が決定。同じく「フジタサッカークラブ・マーキュリー」「鈴与清水ラブリーレディース(清水フットボールクラブから名称変更)」、また1993年から参入していた「シロキFCセレーナ」も続けて廃部が決定。一気に6チームに減ってしまったものの、「浦和レイナスFC(現在の三菱重工浦和レッズレディース)」と「日本体育大学女子サッカー部」の参加で8チームで開催。その年の終わりに2チームが退会。

・また、2000年になるとプリマハムと松下電器の撤退を発表。しかし、それぞれ「伊賀フットボールクラブくノ一」、「スペランツァFC高槻」として市民チームになることでチームは存続。

・Lリーグは3チームを加えて9チームとなるものの、移動費を節約するために東西で分けてリーグ戦を行い、最終的に上位リーグと下位リーグで試合を行うことを決定。この不況を乗り越えるために規模を縮小しながらでも生き残る道を選ぶ。

・2000年になると「日テレ・ベレーザ」がリーグ3連覇。このリーグ制覇のきっかけは日テレ・ベレーザの育成組織「メニーナ」が影響しており、後のアテネオリンピックでは25選手のうち8選手を輩出するなど、その育成力で力をつけます。

・リーグの方も2001年に1クラブ、2001年に1クラブ、2002年に2クラブが増え、13チームまで増えたことで東西に分けていたリーグ戦を再び全国リーグに戻すことを決定。

・日本経済が不況になった影響でリーグ存続まで危ぶまれることになったLリーグの中にも光が。1999年にLリーグに昇格した「浦和レイナス」は資金的バックアップを持たないまちクラブながらも2004年にリーグ優勝。その後、浦和レッズに移管され「浦和レッズレディース」となり、その後も浦和レッズが培ってきた指導のノウハウや豊富な練習施設を元に4度のリーグ優勝を果たし、Jリーグクラブが女子サッカークラブにも力を入れるモデルケースとなりました。

2004年のアテネオリンピックが女子サッカー界が一気にブレイクしたタイミングでした。アジア予選を日本で行い、アジア枠をかけて行った試合では国立競技場に3万人を超える観客の前で大勝利。テレビ視聴率は31.1%を記録。女子代表の活躍によって「なでしこ」の愛称が親しまれるようになり、それに伴ってLリーグの名称も「なでしこリーグ」に。またチーム数も増加し、2部が誕生。

・2001年には関西から「INAC神戸レオネッサ」が誕生。2005年になでしこリーグ2部に昇格。2部を優勝して、創立から5年でなでしこリーグ1部に。

・なでしこジャパンの活躍を追い風に、2006年には国内サッカーリーグ初のリーグタイトルスポンサーと契約。

日テレ・ベレーザは、2005年、2006年、2007年、2008年にリーグ優勝。2004年、2005年、2007年、2008年、2009年に皇后杯優勝と着実にタイトルを積み上げていく。

・2011年、なでしこジャパンが女子ワールドカップ優勝。それに伴いなでしこジャパンに7名の選手を送り込んだINAC神戸レオネッサは観客数の爆増など、リーグ全体で見ても来場者数が増える。そしてこの年にINAC神戸レオネッサはリーグ初優勝。その後も2012年、2013年と3連覇をして時代を作る。

・その後、2015年からは再び日テレ・ベレーザが2015年から2019年までリーグ5連覇を達成。2020年には浦和レッズレディースが6年ぶり4度目のリーグ優勝。

・2019年のフランス女子W杯では各国の代表チーム強化を前にラウンド16で敗退。欧州女子サッカーの人気向上の影響もあり、危機感を覚えた日本サッカー協会はプロリーグ設立を決意。

・2021年から「WEリーグ(日本女子サッカーリーグ)」が10チームで開幕。初年度の優勝はINAC神戸レオネッサ。W杯イヤーとなる2年目は浦和レッズレディースがリーグを優勝、日テレ・東京ヴェルディベレーザが皇后杯を優勝。


・というような歴史を踏んできたんですね〜。面白いです。まあせっかく有料の日記なので、下にいまのなでしこを見ていて思うことでも書いて締めたいと思います。

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