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大学生でもお金を稼ぐ

僕はお金を稼ぐ手段をいくつか持っている。大学生の一般的なお金の稼ぎ方はアルバイトであるが、僕ももちろんアルバイトをしている。アルバイトの特徴は、成果型報酬制ではなく、時間型報酬制であることだ。

だから、バイトをしている人はどれだけその時間の中でサボればサボるほど、自分の得になる。どんなに熱心にアルバイトね励もうが、どんなにサボってバイトをしようが1時間にもらえる時給は800円なのだ。僕のバイトをする居酒屋は、800円であり、深夜料金もない。多分違法なアルバイトだ。

このアルバイトというお金の言い方は、サボればサボるほど自分の利益になってしまうため、目先の利益だけを英語うとするのであれば、サボることが得なのである。

人生とは、サボることはあまり良いことではない。しかし、アルバイトという空間はサボることが良いことである。だから僕は時間型報酬のアルバイトをあまりしないようにしている。するとしても、できるだけ自分の楽ができるように、サボりまくる。最低限をこなせば、サボっても何も怒られない。僕はサボりまくる。

ちなみに僕はこの安定的な収入も非常に魅力的だと思っていて、時給2000円の家庭教師のアルバイトをいくつか請け負っている。家庭教師のアルバイトは普段はお話をすることが普通はできないであろう中学生の生態を知ることができる。さらには相手の保護者からすごく感謝をされる。それに加えて時給2000円も払ってくれるような家庭は非常に考え方がしっかりしている保護者が多いので、モンスターペアレントに当たる確率は少ない。僕は凄く幸せなアルバイトをしている。

ただ、アルバイトだけでしかお金が稼ぐことができないかと言われればそうではない。現代は皆手元に10万円ぐらいするちっちゃな機械を持っている。この機械を使えば、誰でもお金を稼ぐことができるのだ。要するに、なんでもいいから欲しいと言ってくれる人がいるものを何か作り出せば、それだけでお金を稼ぐことができるのだ。

僕の場合はそれが記事だった。記事を書いて、それに対して若者が頑張ってると皆様からサポートをいただくことが僕のアルバイトみたいなものだった。

ただ、アルバイトとの決定的な違いは、やればやるほど自分の力になっていき、自分の評判が上がっていくということだ。つまりは成果型の報酬の仕事である。

記事を書こうと思えば、何かしらのインプットをする必要がある。本を読む、サッカーの試合を見る、他の人の記事を読む。全てのインプットが自分のアウトプットに繋がる実感が持てる。さらには、僕は長崎県に住んでいるのに移動時間往復6時間をかけて、福岡まで出てきているという変態行為に及んでいる。福岡に入って行った試合のことを記事にするだけで、僕は移動費を全てサポーターやブースターの皆さんから支援していていただいている。

僕は好きなことをしているだけなのに、みなさんからめちゃくちゃ感謝されてめちゃくちゃ支援をされている。好きなことを仕事にするとよく言うが、僕は大学生でありながら好きなことで仕事をしている。

要するに、やるかやらないかだと思う。

僕のやってるような、カスタマージャーニーなんて誰でもかける。ただ、試合に行って自分が思ったことを気づいたことを書き続ければいいんだから。

これをするだけで色々な人に感謝をされ、更には金銭的支援もしていただき、色々なところからお声をかけるようになって頂けるなんて本当に素晴らしいことだと思うんです。

今の時代、高校生や中学生までもインターネットの世界に発信をしているのです。正直に言うと、若いだけでアドバンテージがあるようなものだと思うんです。

若いというフィルターがあるだけで、世の中からは若いからねと大目に見られる。そして、若いのに立派なことやってると、それに対して支援してくれる人がいる。逆に年齢が上がれば上がるほど求められるものはとても数の高いものだと、世の中では思われてるらしい。というか、世の中で重視されているのは年齢ではなく所属しているカテゴリーなのかな。

小学生が中学生が高校生が大学生がといった自分が覗くしている年齢カテゴリーによって求められるものは違ってくると思う。同一カテゴリーの中ではなし遂げている人が少ないというところに価値がある。僕はその価値を享受するために、毎日コラムを書いている。

ちなみに先日ある女子サッカークラブの記事を書いたところ、この記事がそのサッカークラブの社長の元まで届いた。僕は1年前まで本当に何もないただの大学生だった。しかし、自分がただサッカーファンの大学生であるだけで、価値があることに気づいた。建前では謙虚に生きながら、自分もその価値をより欲しがっている人のところに飛び込んでいった。

やりたいことが何もないなんて寂しいことだと思う。やりたいことがなくても、今できることをやっていく中でやりたいことを見つけていくべきだと思う。

最初から全ての方向性が見えてる人なんて誰もいない。今できることをやっていながら探していくしかないと思うのだ。自分の人生に本気になってくれる人なんてほとんどいない。自分の人生には自分が本気にならないといけないのだ。

今の時代、何でもできるからこそ何もやってないと言い訳をすることができない時代になっているのだ。

スポーツビジネスに入りたいです、関わりたいです。

そういうのはもちろん簡単なのだが、じゃあ今すぐTwitter上のスポーツビジネスに関わっている数詞に接触してそういった人達に影響力のあるような文章を変えて、自分の名前をピックアップしてもらう。なんでそれをしなかったのと言われてしまえばそこでお終いだ。

何でもできる時代だからこそ、言い訳ができない。何もやってないんじゃなくて、何もできないのと判断されてもおかしくないと思う。

今時の大学生は自分の進路を当たり前に企業に属することだと思っている。しかし、自分の将来の選択肢というのは無限にあることを忘れてはいけないと思っている。

生活をしていくためにお金を手に入れたいのであれば、その手段は企業に属するだけではない。自分で起業をしてもいいし、フリーランスとして、自分の能力をフルに発揮してもいいと思う。もちろん企業に属する言葉は安定的な収入社会的な信頼などとても大きなものを手に入れることはできる。ただ、それは一つの手段なのだ。

一体大学2年生が何を言っているんだと言ってくれても構わない。

ただ、僕の周りの人を見ていると、もっと真剣になろうぜと思う。それに他の凄い人達を見ていると、僕ももっと真剣にならなきゃなと思う。

僕は周りの人に言い訳をさせないために、今できることを精一杯やっている。やっているつもりと言えばつもりなのだが、客観的に見て頑張っていると思ってもらえるようなことをしている。世の中は自分のことをめちゃくちゃ試してくる。本気度や愛なんてものは行動にしか現れない。

そう思いながら、今日も僕はコラム書いている。時刻は11時半ギリギリだった。

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