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うちの近くの自販機が撤去された話

歩いて気分転換に家からちょっと離れたコンビニに向かっているときに、うちの近くの自販機が撤去されていることに気付いた。

いままでそこまで意識して見てこなかったけど、よく見ると自販機が無くなってた。使ったことは1度か2度しかなかった自販機だったけど、無くなるとなんだか寂しいもの。

僕の好きな飲み物が売ってなかったし、近くとはいえコンビニと微妙に距離感が同じだったから好んで使ったりはしなかったけど、その自販機についてちょっとだけ考えてみた。

その自販機の事を始めて認識したのは、僕がいまの部屋に一人暮らしを始める時だった。近くのコンビニ、駅、スーパー、バス停などを把握していく中で「こんな所に自販機あるじゃん」と気付いたのが出会い。いまでも薄っすらと記憶がある。

初めての一人暮らし、そして大学生というフリーダムの象徴のような存在になれる喜びで舞い上がって意味もなく週7で水族館に通ったあの時。サークルに入って新しい友達と新しい生活を過ごせることに心を躍らせながら僕はあの自販機の横を通っていた。

大学に入って一目ぼれをした女の子と電話する時「散歩が好きだから」と適当に嘘を付いて話を繋げるために散歩していた時も、その女の子と付き合うことになる日にも僕はあの自販機の横を通っていた。

僕の家と彼女の家の丁度中間地点にその自販機はあったから、僕は彼女の家に行く度にその自販機の横を通った。帰り道のニヤニヤした顔ももしかしたら見られてたのかもしれない。

彼女と深夜に「いまからアイスでも買いに行こうか」と無駄に遠いコンビニに行くときに、すぐ近くのコンビニに行くのにメイクをすると言い出した時に驚いた日にもあの自販機の横を通ってた。

ある日体調がすぐれないと言う彼女に何をしてあげればいいかと一生懸命考えてコンビニでなんでもないプリンとアイスなんかを買って行った日も、怒る彼女が家に帰ると言った日には謝りながらその自販機の横を通りながら説得した。

僕の楽しい思い出はその自販機の横に無意識で込められていたのかもしれないなと思った。

そんな彼女と別れた日。一緒に過ごした家にいることがしんどくなって、暗い道を楽しかった日々を思い返しながら何がダメだったんだろうと考えながら歩いてるときにもその自販機の横を通った。

バイト先で失敗をしてしまって「自分のせいじゃないのに」と大人げないことを考えてた深夜2時の帰り道もそうだし、次の日のイベントが楽しみすぎて興奮して寝られなかった朝にも僕はその自販機の横を通った。

僕が3か月に1回「ジョギングしよう!」と思い立って始めるも、一週間ぐらいでやめてしまうところも何回その自販機に見られてきたんだろうな。

そんな僕も4月で大学4年生になります。もう出会った時ほどキラキラした大学生活じゃないね。あの自販機とは3年間くらい近くにいたはずなのに意識したことは殆ど無かったけど、無くなってしまうのはちょっと寂しいな。

なんか自販機にこんなことを言うのもあれだけどいままで見守ってくれててありがとうな。少しは大人になれたかな?なんてね、お前は人間じゃなくて自販機だよ、バーカ。


次の日、そのダイドーの自販機がコカコーラに変わってました。

普通に便利やん。

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