いまのわたしについてちょっと考えてバッと書いた
五月に書いた自己紹介noteを読み返して、唖然とした。なぜって、「やりたいこと」で記していたことの8割がいま、目の前にあるからだ。
半年も満たない、正確には149日のあいだで、わたしはわたしを報いたことになる。
??????
どういうことだ。自分のことなのに、疑ってしまう。毎日毎日、寝る時にはなにも為せなかったように思えて仕方がないってのに。
(いけない。自己肯定感の低さを露呈してしまった。)
でも、とどのつまりは、「あ〜もうやめたろ、実家帰ろ」とめそめそしてた日も、「がんばれない人種なのだ」と悟りをひらいてしまう日も、わたしは確実に成長していた、ということでよろしいのか(そういった落ち込みも含めて)。よろしいのでしょうか。
ああこれって、ものすごく、すごいことではないか。
だって正直、149日前のわたしは「実現するのは、まあ2年後くらいかなー」という調子でいた。特に5月は、今の出社バイトを始めたばかりで何もかもが新鮮だったし。わりとこのままフリーターでもええんちゃうのん、と思っていたのを覚えている。ずいぶん気楽だな。
だけど、みて、ちゃんと歩けてんじゃんわたし。
おお、ほんとだ。歩けてたんだね。
この歩みは、距離を正確にはかることができない。でも、あの時より前に進んでいることは、確かだ。みえる景色が、ちょっと変わってる。それはたぶん、モノゴトの見方が変わった、ということ。
しかし、だからと言って特別に、なにかをやってきただろうか。
んー
いや、
毎日を、毎日生きてきただけだ。
それでも前に進めてるってことは、わたしの生きる毎日はそんなに悪くないってこと?
じゃあ、とにかくnoteを欠かさず更新するだとか、『文章術とはなんぞや』って本を読み漁るとか、人生に一貫性を持たせなきゃとか、なんかそういうのっていまわたしに必要?
うーん。大切なのはよくわかるけど、そういうことは後からついてくれば良し、だ。
思えば人生、後からついてきたことのほうが多い。今日少しがんばったからと言って、明日、魔法みたいに変わることなんてそうそうない。あるとしても、人生に一度くらいだ。
あいみょん先輩も言ってました。”僕が明日いい男になるわけでもないからさ”。そう、だいじなことはぜんぶあいみょんを聴いて。
わたし最近、ちょっと焦ってんじゃない?無理してない?なんか、履き違えてない?
つまり本当に必要なのは、いまこの瞬間に生きてるわたしを、ここに記しておくことかもしれないなと思った。目先の学びや誇示に血まなこにならなくても、わたしは大丈夫。べつに、感情に落ち込みがあったっていい。それが人よりちょっとめんどうな落ち込みでも、いいじゃん。がんばりドキさえキメれば、あとはもう大丈夫なわたしだ。
そう思ったことまでも、残しておかなくては。
そしてもうひとつ必要なのが、わたしを真に褒められるのはわたしだけどってこと、を、心に留めておくこと。
これはいま気づいた。でも、わたしにそういう節があるのは確かだ。誰かから褒められるのは当然うれしいのだけど、そうすると次第に、誰かに褒められることが目的になってしまいそうで。わたしはそれを、とても恐れている。
この場合、”誰か”というのは、特定の人でもあるし、大きな集合体としての”誰か”でもある。具体的には、母や父だったり、ツイッターのフォロワーだ。
誰かに評価してもらえることはうれしい。でも、そういう評価ばかりを糧にしていたら、わたしはある時を境に、ぱたりと簡単に倒れてしまうはずだ。
誰かの評価を得るための努力は、本当にわたしの底から湧きあがってきた力か。その時、わたしの人生はどこにある。他人の人生を生きてはいないか。なんかしっくりこなくて、気持ちが悪いのは決まって、そういう時だ。
とはいえ、心のなかには、他人からの評価が欲しくてたまらないわたしが当然のように居座っている。それでいてまた、忌み嫌い恐れているわたしもいる。でもその両極端のちっちゃいわたしがイイ感じにシーソー遊びしてくれることで、なんとか生を保っている。
これは評価に関するわたしの主張だけど、人が生み出したモノゴトへの評価は、みんな、どんどんするべきだと思う。人が生み出したモノゴトのすべて、実は評価されたがっているのではないか?とまで思ってしまうし。
けれども、モノゴトを生み出した人そのものの評価は、常に慎重でなければいけない。なぜなら、人そのものはかなり流動的で、その人以外が簡単に言い表せるほど単純ではないから。身勝手な評価は時に、対象の人物を殺せるほどの暴力となり得るから、だ。
(つよいことばはあんまりつかいたくないもんですね)
というわけで、評価にはわたしも気をつけたい。わたしのことばが、誰かを傷つけてはいけないな。そんなことのために、使ってはいけない。というか、そんな暇もない。
いまのわたしについてちょっと考えて、バッと書きました。久しぶりにスマホで打ちました。これがいまのわたしです。
149日前のわたしが今日のわたしを褒めてくれたように、今日のわたしは半年後や1年後のわたしを褒めてあげたい。褒めるための判断材料として、今日のこのnoteは必要なんだ。
(と、信じたい)
おわり
ふつうの暮らしを愛しながら、 東京のすみっこで猫たちと生活してます。 おいしいごはんとお酒が好きで、映画をたくさん観る🎥 年内に登山と釣りがしたい。